さて先日は、1989年、90年の悪夢のような開幕シリーズについて書いたのだが、今日は、95年、97年、98年について書いていきたい。95年というと、広澤とハウエルが巨人に移籍してしまったシーズンである。92年、93年とセリーグを連覇した時の主力選手を奪われてしまい、私の中で巨人のことがますます嫌いになった時期である。この頃は、ヤクルトと巨人が激しく優勝を争っており、94年には、大乱闘騒ぎもあったため、どこか殺気立った雰囲気があった。
開幕戦は、斉藤雅に完封されて落としてしまう。90年代前半~中盤までの斉藤雅には、本当に完璧に抑え込まれることが多く、テレビで見ていても勝てる気がしないほどの素晴らしい投手であった。しかし95年の開幕シリーズで最も印象に残っているのは、第2戦である。正直この試合も完全に負け試合の展開であった。巨人の先発桑田が素晴らしいピッチングを見せ、ヤクルトは第1戦に続き抑え込まれてしまう。ヤクルトの期待の若手山部もまずまずのピッチングを見せるが、0-2のまま9回を迎える。2試合連続完封負けが見えてきたところでこの試合どころか、このシーズンの流れを決めるような出来事が起こる。桑田が先頭の飯田に対して投げたシュートがすっぽ抜け頭部を直撃する死球となったのだ。これで桑田は一発退場。試合の流れが一気に変わる。2番手3番手の橋本、石毛がこの流れに飲み込まれ、ヤクルトはこの回一気に5点を挙げ逆転勝利を飾る。そのまま勢いに乗ったヤクルトは、セリーグを制覇し、日本シリーズでもオリックスに勝利し、日本一に輝く。野球というスポーツが1球で流れが変わるスポーツだということをまざまざと見せつけられたゲームだった。
97年の開幕シリーズも東京ドームでの巨人戦であった。95年に続き1試合で大きく流れを掴むこととなる。開幕戦の巨人の先発は、難敵斉藤雅。その斉藤を打ち崩したのは、広島を戦力外となった小早川であった。この小早川は、斉藤雅を得意としていた。本当かどうかは分からないが、野村監督は、この開幕戦での斉藤雅対策の為に小早川を獲得したという話を聞いたことがある。そして開幕戦で5番に起用された小早川が1打席目でいきなりホームランを放つと、2,3打席目でも斉藤雅からホームランを放ち、見事にヤクルトが勝利するのである。この1勝で勢いに乗ったヤクルトは、95年に続きセリーグを制覇し、日本シリーズでも西武を破り、日本一に輝く。小早川はシーズン通しての活躍はできなかったが、ファンの間ではMVP候補に名前が挙がるほどであった。それだけインパクトの強い開幕戦だった。
95年、97年の開幕シリーズは、ヤクルトファンにとって良い意味で思い出に残るものとなっているのではないだろうか?
しかしその年のドラフトでヤクルトへの入団が有力視されていた慶応大の高橋由伸が、不可解な形で巨人を逆指名し、巨人に入団する。そして98年の開幕戦は、神宮球場で巨人と対戦することとなる。開幕スタメンの座を獲得した高橋由伸は、当時セリーグ№1サウスポーと言われていた石井一久からヒットを放つなどその能力の高さをいきなり示すこととなる。そしてこの開幕シリーズは3連敗を喫してしまい、ヤクルトは苦しいシーズンを戦うこととなる。
95年、97年、98年の開幕シリーズは、シーズンの流れを決めてしまうような重要な開幕シリーズであった。
後編は、08年、10年、11年の記憶に新しい開幕シリーズである。巨人との戦力差が大きくなってきてからの開幕シリーズである。お楽しみに。
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