元阪神投手の安達智次郎氏が7日の午前1時49分、肝不全のため神戸市内の病院で亡くなった。41歳だった。村野工時代にエース左腕として91年夏、92年春の甲子園に出場。同年秋のドラフト会議で松井秀喜(元巨人)を抽せんで外した阪神から1位指名され、喜びの涙を流しつつも「松井君が行きたかった球団で申し訳ない」と話した。
(日刊スポーツ引用)
私も歳をとってきたと言うことなのだろうがやはりバリバリに活躍している姿を知っている選手の訃報というものはショックが大きいものである。
安達投手に関しては、プロでは全く実績を残せなかったのだが、村野工業時代の甲子園での投球が強く印象に残っている。私がまだ小学校3年生、4年生頃の記憶なのだが、当時は夢中になって高校野球を見ていた時期であったため安達投手のことはよく覚えている。185cmを超える長身から投げ込まれるストレートは力強く、カーブ、スライダー系の変化球のキレも抜群だった。コントロールはアバウトであり、いつもランナーを背負っている印象があったのだが、指にしっかりかかったときのボールは高校生では攻略不可能なボールだったように記憶している。2回出場した甲子園では1勝も上げることはできなかったのだが、全国の高校野球ファンに「村野工業の安達智次郎」をしっかりアピールしていたのではないだろうか?私はこの安達投手の荒削りな投球にすっかり魅了されてしまった。スラッとした立ち姿、しなやかな腕の振りから投げ込まれる威力十分のボール、智次郎という名前、小学生だった私にとってはインパクト抜群の高校球児だった。
その後も似たようなタイプの荒削りのサウスポー岡島秀樹(東山)、寺本四郎(明徳義塾)辺りは好きなタイプの投手だったのだが、好きになった理由としてはこの安達投手の投球に魅了された影響もあったと思う。
阪神にドラフト1位で指名されてからももちろんプロでの活躍を楽しみにしていたのだが、プロでは制球難とフォーム固めに苦労し、1軍での出場はかなわなかった。ルーキーイヤーと野村克也監督が阪神の新監督に就任したときに少し話題になった記憶は残っているのだが、最後までチャンスを掴むことはできなかった。
それでも私にとって村野工業の安達智次郎はアイドルである。そんな安達氏の早すぎる訃報はショッキングなニュースである。
ご冥福をお祈りします。
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