私がプロ野球を見始めた最も古い記憶は1988年に長嶋一茂がガリクソンからプロ入り初ホームランを放った試合である。
過去記事はこちらから→「私とヤクルトスワローズ」
そこからヤクルトファンとなったため、一応平成の30年間はずっとヤクルトを応援し続けてきた事になる。そんな「平成」という時代も終わりを迎えようとしている。そこで今日は私なりに平成のヤクルトベストナインを選んでみたいと思う。
どんな定義で選んでみようかな?と考えたのだが、一応平成の時代にヤクルトでプレーした選手に関しては、基本的には全選手リアルタイムで観戦する事が出来ているため、あれこれ考えずに自分が「この人!」と思った選手の名前を挙げていきたいと思う。投手に関しては、平成という時代の中で分業制が進んできたため、先発、中継ぎ、抑えと3名選んでみたいと思う。
先発投手 石井一久
・先発投手に関しては、おそらくヤクルトファンの中でも票が割れると思うのだが、私は石井一久の名前を挙げさせてもらった。高卒1年目の日本シリーズで先発のマウンドを任されるなど、いわゆる「モノが違う」投手だった。ムラッ気の多い部分もあったのだが、150キロ前後を記録するストレートと鋭いスライダーは絶品であり、ハマッた時の投球は手の付けられないものだったし、ここぞという試合での集中力は抜群だった。
97年に横浜に追い上げられる中で息の根を止めるような快投を見せ、ノーヒットノーランを記録したり、2001年の近鉄との日本シリーズでもあわやノーヒットノーランという快投を見せてくれた。
当時のセリーグを代表するバッター松井秀喜との勝負も見応え抜群だった。
バラエティー番組での受け答えから「天然」っぽい雰囲気も感じたのだが、その実非常にクレバーな投手だった。MLBに渡ってからヤクルトに復帰した時はムービング系のボールも駆使して見事にモデルチェンジに成功して見せた。当時のヤクルトは古田あっての投手陣という印象もあったのだが、石井一久に関しては古田に依存しないタイプの圧倒的な力を持った投手だったと思う。投げるボールの破壊力、三振を奪う能力に秀でたサウスポーだった。
・石井一久以外では私がヤクルトファンになった時のエースだった尾花高夫、92年の熱投が忘れられない岡林洋一、衝撃的デビューを果たした伝説の投手伊藤智仁、勝てる投手館山昌平、長年に渡って勝ち星を重ねている石川雅規、弱小チームのエースから優勝チームのエースとなった小川泰弘辺りもベストナイン候補である。
過去記事はこちらか→「異才石井一久引退」
中継ぎ投手 五十嵐 亮太
・「ロケットボーイ」と呼ばれた五十嵐亮太と石井弘寿とで迷ったのだが、実働年数の長さというのもリリーフ投手としての大事な要素であるため五十嵐の名前を挙げさせてもらった。高卒2年目のシーズンからリリーフ投手として長年に渡ってヤクルトのブルペン陣を支えてくれた。150キロを超えるストレートはとにかく魅力的であり、当時まだ高校生だった私は五十嵐の投球に熱狂したものである。リリーフ投手としては試合毎に波が大きい印象もあったのだが、それでもある程度抑えてしまうだけの力が五十嵐にはあった。ヤクルトの豪腕というと石井弘寿やイム.チャンヨン、由規なども印象的なのだが、身体全体を使った力感のある投球フォームをしている五十嵐こそ「豪腕」という名に相応しかったと感じている。
今年からはヤクルトに復帰と言うことで新たな歴史を刻んでもらいたい。
・その他には圧倒的なポテンシャルを持った山田勉、山本樹や河端龍といった地味ながらもくもくと仕事を果たした仕事人タイプの投手、MOLの一角を担った松岡健一、押本健彦、鉄腕秋吉亮に優勝に貢献したオンドルセク辺りも印象に残っている。
抑え投手 高津 臣吾
・ヤクルト黄金時代をストッパーとして支えた高津がやはり№1なのではないだろうか?当時も現在もクローザーを努める投手はパワー型の投手が多いのだが、高津はサイドスローからキレのあるストレートとスライダー、そして高津の代名詞とも言えるシンカーを駆使して打者を手玉に取るという珍しいタイプのストッパーだった。同時期に活躍していた横浜の佐々木のような相手を絶望させる程の存在だったわけではなく、ランナーを許したり、失点をしながらもしっかり試合を締める、いわゆる「劇場型」のストッパーだった。
それでも高津ー古田のバッテリーは名コンビであり、高津が9回のマウンドを任される事が当たり前だったし、打たれてもファンとして納得できる投手だった。また日本シリーズでは無類の強さを見せ、相手チームに1点を与える事すら許さなかった。存在感抜群のストッパーだった。
シンカーは確か速いものから遅いものまで3種類くらいを投げ分けていたという話しを以前聞いたような記憶がある。自分の投球スタイルを確立してNPB、MLBで結果を残した高津はやはり名投手である。
・その他では中継ぎ部門で名前を上げた五十嵐亮太や石井弘寿。イム.チャンヨン、バーネットといった助っ人外国人も印象に残っている。ルーキーイヤーでは岡林洋一も抑えを任されている時期があったことを記憶している。
一気に全ポジションを書き切ってしまおうと思ったのだが、時間がないのでまずは投手編ということにしてみたい。皆さんはヤクルトの平成ベストナイン(投手)を選出するとしたら誰を選びますか?多くのコメントお待ちしてます。熱く語り合いましょう!
続きは後日…
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コメント
川崎憲次郎さんはいかがでしょうか?
個人的にはベバリンさんが印象に残っています。
投手はだいたい同じような意見になりそうですが、野手が難しそうですね
先発は伊藤智仁さんですかね。実働は短いですが、強烈なインパクトがありましたから。ひとりだけ選ぶのはとても難しいですね。中継ぎは石井弘寿さん。抑えは高津さんです。
明日よりキャンプ突入ですね。
管理人さん『球春!明けましておめでとうございます。今年もヨロシクお願いします』
平成ではありませんが、私は荒木 大輔の入団がヤクルトファンの始まりですので、まずは荒木ですね。
懐かしいですね~!日本シリーズでの力投!岡林♪
古田から消える魔球と言わせた高速スライダーのガラスのエース伊藤!
怪我からカムバックしシュートを覚えて沢村賞に輝いた川崎♪
一昔は先発→中継→ワンポイト→抑えと言った完全分業ではなかったので、皆後数年後に生まれていればという思いはありますが…。
打者有利の神宮球場をホームにしているのでなかなか良い投手は生まれにくいはずですがけっこう出ましたね
ただこうしてみると基本的には速球派が多いですよね
だからこそ私が一人を挙げるなら高津かなぁ
サイドスローで130キロ台の抑えは球界史でも珍しい。ぱっと思いつくのはアンダーだけど元西武の牧田くらいか?
古田は高津を潮崎と比べた時にシンカーを内外どちらにも投げ分けられる分優れていると言ってました。
> まるふくさんへ
川崎ももちろん大好きです。ストレート、スライダー、カーブ、SFFを駆使していた「THE本格派」の時代、怪我の後シュートを駆使して復活した時代、どちらも魅力的でした。何より巨人キラーでしたしね。
べバリンとは渋いですね。ナックルカーブが印象的です。開幕投手も努めましたかね?
> ななしさんへ
野手の記事が突然消えてしまいました。少々お時間を下さい。
> 燕36さんへ
伊藤智仁のインパクトは凄かったですよね。安定感なら五十嵐より石井弘寿のイメージですね。
> 南国燕さんへ
岡林、伊藤智、川崎、荒木もですが皆怪我に苦しみましたよね。時代が時代ならまた違った結果になっていたのでしょうか?
> saboさんへ
私はシンカーということで言えば空振りを奪える潮崎のシンカーがあまりに衝撃的で、潮崎の方が上かな?という印象なのですが、古田のコメントも興味深いですね。
それでもやっぱり高津は平成を代表するストッパーですよね。