現役時代はプロ野球の南海などで活躍し、ヤクルト、楽天などの監督を務めた野村克也(のむら・かつや)さんが死去した。84歳だった。
(産経新聞引用)
沙知代夫人に先立たれて以降身体が少しずつ弱ってきているのかな?という印象は持っていたのだが、頭は冴えているように感じ、野球関係の仕事でちょくちょくテレビ出演なども果たしていたため、今日の朝、野村氏が死去したとのニュースを聞いて驚いてしまった。
私がヤクルトを応援し始めたのは、1988年のシーズンからである。野村監督が就任した90年シーズンからの記憶はしっかり残っている。当時弱かったヤクルトが徐々に力を付け、黄金時代と呼ばれるまでになる過程を見させてもらったことはファンとしてとても幸せなことだったと思っている。今でも野村氏を見ると、思わず「野村監督」と呼んでしまう。それほどまでに私の中で強烈な印象を残している監督は「野村監督」だけである。
当時まだ球界の盟主であり、特別なチームだった巨大戦力を誇る巨人に対してあらゆる手段を使いながら立ち向かう野村ヤクルトの姿に私は興奮したし、影響も受けたと思っている。今日訃報のニュースを見る中で野村監督の同世代からまだ現役の若い選手まで多くの方々が追悼のコメントを残しているのを見て改めて野村監督の球界での影響力の強さと残した物の大きさを感じることが出来た。
「野村ー野球=0」なんて主旨のことを本人がおっしゃっていた気がするが、その野球でこれだけの人々に影響力を与えてしまうということはとてつもないことである。最期の最期まで野球を愛し続け、80歳を超えても野球に関することについてはアップデートをし続けた柔軟性と貪欲さこそ野村監督の野球人としての凄さなのではないだろうか?もうあのボヤキが聞けないと思うと寂しくて仕方ない。
高津監督を始め、元ヤクルト戦士の追悼のコメントを見ているだけで私も涙が流れてしまうのだが、個人的にはダルビッシュ有のコメントにグッと来てしまった。現代の現役選手のリーダー的存在であり、野球理論にも精通しているダルビッシュが「野村監督と一緒にやってみたかった。」という主旨のコメントを残したことはとても嬉しい出来事だった。
私は一ファンではあるのだが、やはり野村監督が大好きです。だから今日はとても寂しい気持ちでいっぱいです。何を書いているのかよく分からないですよね。
野村監督については昨年こんな記事を書いたので良かったら読んでみてください。→「1枚の写真から伝わるもの」
ご冥福をお祈りいたします。
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コメント
野村ヤクルトであった90年代はテレビとラジオ中継に釘付けになって試合展開を追っていました。私にとっては最もプロ野球がおもしろく感じられた時期でした。野村ー長嶋のライバル対決、野村ー森の知将同士のシリーズ等ドキドキワクワクした思い出が蘇りました。
野村克也という人物を形容する代名詞の1つに戦後初の三冠王があります。既に別の方がブログ記事にしてあるのを目にしてしまったのですが、私も訃報を聞いた時に名選手、名解説者、名監督の三冠王だった方だと頭に浮かびましたのでここに書かせていただきます。
ヤクルトファンとして4度も優勝を味あわせてもらったことには感謝の気持ちしかありません。野村監督ありがとうございました。
いろいろと経験則で言われることをきちんと理論でかつ言語化したことと、
今NPB12球団の監督でノムさんの下でやった方は6人もいるっていうことで、
人を遺したこと。
そしてスワローズファンとしては4度のリーグ優勝と3度の日本一となったこと。
美味しい、うれしい気分にさせてもらったこと。
感謝ですね。
棺にはスワローズのユニフォームがっていう話みたいですね。
サッチーのおかげで2度解任になったっていうのもあったし、
確執あったホークスはすでに福岡行き、親会社も変わったのもあったのですが、そのあたりはまあ良いかな?
ご冥福をお祈りいたします。
ファンながらいろいろと野球について勉強させてもらった感じですし、良い思いさせてもらったので、
ありがとうございました。と言いたいです。
お疲れ様です
私も突然の訃報で驚きました。
私がヤクルトファンになり初めてリーグ優勝、日本一と私に感動を与えてくれた本当に名監督でしたね。
ヤクルト球団が野村監督にお願いする前に実はヤクルト球団は、長嶋さんに声をかけていたみたいですね。
野球人の言葉が似合う方でした。
安らかに…。
> 超匿名さんへ
そうですね。選手としての数字も超一流ですからね。とんでもない野球人ですよね。
> タラちゃんさんへ
「理論でかつ言語化した。」、「人を遺した。」その通りだと私も思います。
テレビを通して楽しみながら野球を学べたと思っています。
> 南国燕さんへ
長嶋さんに声をかけていたのは確かですね。ニュースで取り上げられたのも記憶にあります。当時は長嶋さんは知っていても野村さんのことは知らなかったので、「あれ?長嶋監督じゃないんだ?」と子どもながらに少しがっかりしたことを覚えています。
プロでありながら、勝負には甘く見えたヤクルト球団が本気になったと思えた時が二度ある。一度は岡林、小坂、高津と即戦力評価の高い投手を上位で立て続けに指名した90年ドラフトで、昨年も同じような経験をさせてもらった。もうひとつは、89年の「監督に野村克也氏招聘」というニュース。
この二つのことに、これからチームが大きく変わっていく予兆のようなものを感じたものです。監督が代わるだけでチームが強くなるなど現実にあるのかと思いますが、そう期待させるだけのものが、当時の野村さんにはありましたね。
チーム造りも独特で、原巨人監督の表現を借りれば「スクラムを組んで監督をやるのではなく、自分の中で新しいチームをつくって戦った。そして日本一3回」ということでしょう。荒川さん中心の早大カルテットから始まって、広岡政権に発展した初優勝時とはだいぶ違いました。
連れてきたのは、高畠さんくらいでしょうか。しかし、すでに名伯楽との評価が高かった高畠コーチとは指導方針が違ったのか、1年で離別。
その後、腹心として近かったのは松井優典さんくらいで、コーチも選手と同様に育てていくスタイルには驚かされました。
原さんは、同じ指導者目線で、野村さんのやり方を「本当に野球博士」と認めていたのでしょう。
当時の選手たちが野村さん就任時に近い年齢になって、多く指導者になっていることをみても、野村野球の深さ、大きさ、豊かさは確かなものだと実感しています。
> パインさんへ
「のびのび野球」の関根監督から「ID野球」の野村監督への監督交代でヤクルトというチームの印象が大きく変わりましたからね。
教え子がこれだけ指導者になるのだから驚きですよね。
急なことに驚きました
身体が弱ってきているのは知っていましたし、何度か入院もありましたが、直前までメディアにも出ていて、夫人が亡くなられたときより元気になってくれたように思えていたので……
野村克也氏と落合博満氏は野球人としてはもちろん、親として夫として素晴らしい人間だと思っているんです
この前見た追悼番組で一茂さんが「克則くんが羨ましい」と言ってたようにあの時代に生まれた大人物にしては子煩悩だったと思うんです
克則さんはそして今や楽天で戦略コーチ。父親が好きでなきゃ仕事を継がないですよね。
うまく言えないですが野球だけでなく野村克也という人間の深さを感じます
> saboさんへ
野村氏と落合氏の会話は非常に興味深い内容ですよね。野球論の違いはあってもお互いがお互いを認め合っている所がいいですよね。特に野村氏は後輩の落合氏の考え方を頭ごなしに否定せずに野球論の違いを楽しんでいるように感じるんですよね。相通ずるものがあったのでしょうね。
父親としてという部分も興味深いですよね。