1989年と言えば、平成元年にあたる年である。この年のプロ野球ドラフト会議は、後年「大豊作ドラフト」と呼ばれるドラフト会議となった。私自身の記憶に残っている最も古いドラフト会議がこの89年のドラフトなのだが、この年指名された選手が90年シーズンに次々と活躍したため、幼いながらに強烈に印象に残っているし、ドラフト会議というものの面白さを感じる第一歩となったように記憶している。
この年のドラフトと言えばソウルオリンピックでも活躍し、銀メダル獲得に大いに貢献した野茂英雄に指名が集中した年である。ニュースで「野茂英雄」の名前が繰り返し映し出された、翌日の新聞では一般紙でも一面で取り上げられていた記憶が残っている。細かい背景までは理解していなかったのだが、今以上にドラフト会議が社会の関心事として捉えられていた時代だったのだと思う。そこに表れた野茂や即戦力と謳われた社会人、大学の好投手、物語として大きな注目を集めた元木大介と大森剛など見応え十分のドラフト会議となった。
私はこの頃まだ幼く、このドラフトを詳細まで語ることは出来ないのだが、ドラフトファンの一人として、この89年のドラフトを書き記しておきたいと思う。
①野茂英雄と豪華即戦力投手
・この年の注目の的は、アマチュア№1投手との呼び声高く、前年のソウルオリンピックで日本代表のエースを務めた野茂英雄(新日鉄堺)だった。「トルネード投法」と呼ばれた豪快なフォームから投げ込む150キロ前後のストレートと落差のあるフォークとのコンビネーションで打者をキリキリ舞いにしていた。野茂以外にも社会人、大学に即戦力候補の投手は数多く存在していたのだが、それでもプロのスカウトに圧倒的に評価されていたのがこの野茂だった。その証拠に史上最多の8球団が野茂に入札している。その野茂は、抽選の結果近鉄が交渉権を獲得し、入団1年目から圧倒的な数字を残すこととなる。ここで当時即戦力と謳われた投手がルーキーイヤーにどんな数字を残したのか書き記しておきたい。
野茂 英雄(新日鉄堺→近鉄1位)
●29試合 18勝8敗 235回 防御率2.91 (最多勝、最高勝率、最多奪三振、最優秀防御率、MVP、沢村賞、新人王、ベストナイン)
潮崎 哲也(松下電器→西武1位)
●43試合 7勝4敗8S 102回2/3 防御率1.84
酒井 光次郎(近大→日本ハム外れ1位)
●27試合 10勝10敗 171回2/3 防御率3.46
小宮山 悟(早大→ロッテ外れ1位)
●30試合 6勝10敗2S 170回2/3 防御率3.27
佐々岡 真司(NTT中国→広島1位)
●44試合13勝11敗18S 151回1/3 防御率3.15
与田 剛(NTT東京→中日1位)
●50試合4勝5敗31S 88回1/3 防御率3.26(最優秀救援投手、新人王)
西村 龍次(ヤマハ→ヤクルト外れ1位)
●31試合10勝7敗1S 177回 防御率4.06
両リーグの新人王に輝いた野茂、与田以外の投手も例年であれば新人王に輝いてもおかしくない数字を残した投手ばかりである。しかもどの投手も1位指名ということに凄みを感じる。このうち社会人出身の投手が5名含まれているのだが、当時の社会人野球はまだ金属バットが採用されており、都市対抗野球などの全国大会でも今では信じられないような壮絶な打撃戦が普通に行われていた時代である。また国際大会となれば当時最強を誇ったキューバ(「鬼に金棒、キューバに金属バット」などと呼ばれていた)やメジャー予備軍が揃ったアメリカとこれまた金属バットが採用された中で戦わなければならなかった時代である。そんな環境下で結果を残していた投手は、プロの世界でも1年目から活躍することが多かった。
特に潮崎の空振りを奪えるシンカー、開幕戦からいきなり155キロのストレートで打者を圧倒した与田、先発にリリーフにと大車輪の活躍を見せた佐々岡という社会人組は、野茂の数字には劣るものの強烈なインパクトを残してくれた。
また1年目こそ結果を残せなかった投手も佐々木主浩(東北福祉大→大洋外れ1位)、葛西稔(法大→阪神外れ1位)も2年目からはしっかり結果を残している。この選手達の名前を見るだけでも89年のドラフトの凄さが分かるのだが、これだけには終わらないのが89年ドラフトの本当の凄さである。
②1年目から結果を残した野手は?
・ルーキーイヤーに関しては、投手が目立っていたことに違いはないのだが、野手でも例年であれば新人王候補になったであろう数字を残した選手が2人いた。
石井 浩郎(プリンスホテル→近鉄3位)
●86試合 263-79 22本塁打 46打点 打率.300
古田 敦也(トヨタ自動車→ヤクルト2位)
●106試合 280-70 3本塁打 26打点 打率.250(ゴールデングラブ賞)
この2人に関しても1年目から主力として働いた。石井は後半戦に入ってからホームランを連発したし、古田は当時正捕手不在だったヤクルトで競争に勝ち、レギュラーの座を獲得するといきなりゴールデングラブ賞を受賞してみせた。実力を十分に発揮してくれたのではないだろうか?
③巨人は元木か?大森か?
・89年と言えばまだまだプロ野球界は巨人が中心に君臨していた時代だった。毎年のドラフト会議でも巨人が誰を指名するのか?という部分は注目の的となっていた。この年は、甲子園のスター上宮高校の元木と東京六大学のスター慶大の大森が共に巨人入りを熱望していた。巨人はどちらを指名するのか?という部分についてもドラフト当日の関心事となっていた。結果としては、巨人は大森を1位で指名し、元木は、ダイエーに野茂の外れ1位として指名されることとなった。結局元木はダイエーへの入団を拒否し、1年間の浪人生活を送った後、翌年のドラフトで巨人に1位指名を受け、巨人へ入団したのだが、この選択には世間からの強い風当たりもあったように記憶している。
また大森も大学3年次にソウルオリンピックに出場した実力派のスラッガーだったのだが、巨人ではその実力を発揮することが出来なかった。
元木は後年「曲者」と呼ばれ、巨人を支える選手になったのだが、個人的には元木も大森ももっと数字を残せた選手だったのでは?という思いを持っている。
④下位指名にも後の大スターが!
・ここまで名前を挙げた選手の中では、野茂はNPBで圧倒的な数字を残してメジャーでもパイオニアとして大活躍をし、球史に名を残したし、佐々木は、大洋、横浜で抑えとしての地位を盤石なものとし、こちらもメジャーで大活躍をしてみせた。小宮山もロッテでエースとなり、メジャーの舞台を経験したし、潮崎、佐々岡、古田は長年主力としてチームを支え続けた。
しかし上記の選手以外でもまだまだ人材が尽きないのが89年のドラフトである。高卒下位指名組からは、前田智徳(熊本工→広島4位)、新庄剛志(西日本短大付属→阪神5位)、という2人の大物が指名されている。
前田は高校時代からそのバッティングセンスが高く評価されていたし、甲子園にも出場していたのだが、素行面での不安も囁かれていたようで4位という低めの評価になったようだ。その前田は早くから当時Aクラスの常連だった広島のレギュラーを獲得し、ヒットを重ね、最終的には2000本安打を達成している。広島カープの象徴のような選手となった。
新庄は阪神の新時代を象徴するような大人気選手となり、その後は紆余曲折あり、メジャーでも活躍し、日本ハムでも球団の知名度やパリーグの人気を高めるなど球界に大いに貢献する選手となった。前田や新庄といった大物の存在がいたこともより一層89年ドラフトを輝かしいものとしている。
⑤その他活躍選手
・ここまでの名前を挙げた選手は、超ビッグネームということになるのだが、その他にも投手であれば日本ハムのエースに成長した岩本勉(阪南大高→日本ハム2位)、ダイエー、西武でリリーフとして息の長い活躍をした橋本武広(プリンスホテル→ダイエー3位)、ヤクルトで花開いた入来智(三菱自動車水島→近鉄6位)、地味ながらオリックスの先発ローテ入りを果たした高橋功一(能代高→オリックス3位)、甲子園優勝投手となり、地元中日でリリーフで活躍した山田喜久夫(東邦高→中日5位)らの名前が挙がるだろうか?
・野手であれば、近鉄で花開き、現在は「とんねるずのスポーツ王は俺だ!」でも活躍する吉岡雄二(帝京高→巨人3位)、右投手キラーで代打でも勝負強さを見せた浅井樹(富山商→広島6位)、野手転向後長打力を発揮した井上一樹(鹿児島商→中日2位)、オリックス、阪神でパンチ力を見せ付けてくれた平塚克洋(朝日生命→大洋3位)、西武の名バイプレーヤー大塚孝二(東北福祉大→西武3位)、投手から転向後いぶし銀の外野手となった宮地克彦(尽誠学園→西武4位)、上宮高校時代は、元木のチームメイトでプロでは「がに股打法」で人気となった種田仁(上宮高→中日6位)らの名前が挙がるだろう。
また佐藤和弘(熊谷組→オリックス外れ1位)、ドラフト会議直後からその巧みな話術とパンチパーマで人気となり、パンチ佐藤として知名度の高い選手となった。
このように89年ドラフトは様々な角度でまた様々な選手にフォーカスすることが出来る野球界の時代が大きく動くドラフト会議となった。
※黒須事件
・最後にヤクルト関係で黒須陽一郎(立大→ヤクルト3位・指名拒否)についても触れておきたい。確かこのブログでもほんの少しこのことについては、触れていると思うのだが、この選手がヤクルトに入団していた場合には、その後色々な歴史が変わってきた選手だと思われる。土壇場になって指名を拒否したことにより、立大とヤクルトとの関係に亀裂が入り、その後今に至るまで立大から直接ヤクルトに入団した選手は皆無である(最近ようやく立大出身者の指名はあったのだが…)。色々な事情があったとは思うのだが、シンプルに黒須がプロの世界でどの程度通用したのか?という部分も個人的には気になっている。
89年のドラフト会議を語りたいというプロ野球ファン及びドラフトファンは多いのではないだろうか?
プロ野球 日本 ドラフト 全史 (ベースボール・タイムズ 特別編集) 中古価格 |
にほんブログ村
コメント
凄いメンバーですね!
結果的にですがこれだけ初年度から活躍できる選手がいたなら外れクジも怖くないですね。そりゃ野茂入札しますわ
saboさんへ
野茂に入札せず、単独指名となった佐々岡、与田、潮崎の1年目の成績もとんでもないんですよね。凄いメンバーですよね。