【悼む】死去前日、横田慎太郎さんに届けた記者の2つの“宝物” 天国でも大好きな野球を(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース
元阪神の横田慎太郎氏が逝去したとのニュースが飛び込んで来た。28歳とのことである。私よりも一回りも年下の元トップアスリートの死というものを中々受け入れることが出来ない。
横田慎太郎という選手の存在を初めて知ったのは、鹿児島実業在学中のことだった。元ロッテの横田の息子が鹿児島実業で投打に凄い才能を発揮しているとの情報が伝わってきた。父横田真之氏は、小柄な巧打者という印象が残っていたのだが、息子は、身体能力抜群でサイズにも恵まれたサウスポーということで、父以上の逸材として評価されていた印象が残っている。鹿児島県予選で敗れてしまい、甲子園に出場することはなかったのだが、ドラフト2位という高評価で阪神タイガースに入団することとなった。
入団後も各所から非常に高い評価を受け、阪神の「NEXTブレイク候補」の筆頭としてメディアでも取り上げられていたし、実際に高卒3年目のシーズンにはオープン戦で結果を残し、開幕スタメンの座を奪取している。このブログでも当時の阪神に期待の若手野手が多くなってきていることについて触れており、その中で横田の名前も挙げている。当時は、まだスピードに特徴のある選手というカテゴリーだったのだが、育てていけば打撃面でもNPBトップレベルが狙えるプロスペクト選手の代表格となっていた。しかしこのシーズンも多くの期間を2軍で過ごすと、翌シーズンからは、「脳腫瘍」という病魔との闘いとなった。選手横田慎太郎の記憶は、私の中ではほぼここまでとなっている。病気を克服し、グラウンドに戻ってきてくれることをどこかで期待していたのだが、野球が出来る状態に戻ることはなかったとのことである。それだけに引退試合となったウエスタンリーグ最終戦での「奇跡のバックホーム」は語り継がれている。この場面については、何度かテレビで視聴した記憶があるのだが、横田の症状がそこまで悪かったことは知らなかった。自分の感覚だけを信じてプレーしたラストワンプレーは、まさに「奇跡のバックホーム」だった。
上記の話などを本人がメディアで語っていたことから、私自身は、すでに脳腫瘍というものを克服し、野球は出来なくとも、ある程度の日常生活は支障なく送れているものだと思い込んでいた。昨年の3月に脳腫瘍が再々発していたことは、今日の報道で初めて知った。
プロ野球観戦が趣味の私にとっては、あまりにも辛いニュースである。どう整理すればよいのか分からないのだが、横田慎太郎というプロ野球選手がいたことを忘れないようにしたい。
ご冥福をお祈りします。
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