私は、時々過去のヤクルトの選手についてこのブログで触れているのだが、基本的にはこのブログを始める前に現役を引退した選手について取り上げている。ブログを始めた際に現役だった選手、またはブログを始めた後にプロ入りした選手に関しては、引退時にブログに取り上げることとしていた。岩村については、2013年シーズンよりヤクルトに復帰したのだが、2014年シーズン終了後に戦力外通告を受け、そのまま独立リーグの福島ホープスの選手兼監督となったという経過がある。当時は、その後の岩村の野球人生がどのように転んでいくか分からなかったこともあるため、岩村についての振り返り記事を書くことは避けていた。そんな事情もあり、気付けば、これまで岩村については、単体で取り上げて過去のプレーぶりを振り返ることは行っていなかった。生涯ヤクルト一筋でプレーしたスター選手、若松勉、池山隆寛、古田敦也、宮本慎也らと比べると何となく影が薄くなっている気もするのだが、ヤクルトにとっての特別な背番号である背番号1を付けたこともある岩村は、00年代を代表するヤクルトのスター選手である。その岩村について今一度振り返ってみたいと感じたため、今回、このブログで触れることとした。
※これまで岩村単体では取り上げていなかったが、岩村について触れた記事を下記に貼り付け、触れた部分をコピペしておきたい。
・2014年戦力外選手 | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)
「走攻守揃ったヤクルトの元スター選手ではあるのだが、やはりメジャー時代の膝の怪我が本人の野球人生を大きく狂わせてしまったのかもしれない。メジャーに渡ってからは、中距離ヒッターとしてタンパベイ・デビルレイズ、レイズではチームに欠かせない存在となり、リーグチャンピオンにも輝いている。やはり日本を代表する超一流の内野手であったことに違いはないだろう。しかしその後、膝を怪我してからはかつての輝きを取り戻せないままでいる。
日本球界に復帰してからも結果を残せず、楽天を自由契約になった末に古巣のヤクルトに復帰したのだが、2年間で思うような結果は残せなかった。本人は現役続行希望ということだが、この戦力外通告は仕方ないものだったと思う。もう以前のような俊敏な動きを期待することは出来ないが、腹を括ってバット一本で生きていくのなら(代打の切り札的存在として)獲得したがるチームもあるのではないだろうか?」
・岩村はBCリーグへ | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)
「年齢的には来年36歳ということでまだ老け込む歳ではないのだが、レイズ時代の2009年に左ひざの前十字靭帯を損傷したことをきっかけに岩村のプレーからスピードとパワーが失われてしまった。私達が想像していた以上に身体の状態は悪かったのかもしれない。スピードとパワーを合わせ持った、走攻守三拍子そろった岩村の姿が戻ってくることはなかった。それでも岩村の現役続行への思いは、全く衰えていないと思う。可能性は限りなく0に近いかもしれないが、BCリーグで圧倒的な数字を残して2016年シーズンでのNPB復帰を狙っているのだと思う。最後の最後まで岩村らしく「何苦楚」の精神で頑張ってもらいたい。」
・若松→池山→岩村→青木→山田 | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)
「池山氏の次に背番号「1」を継承したのはその池山氏からサードのレギュラーを奪取した岩村明憲だった。走攻守三拍子揃った岩村氏もスワローズのスタープレーヤだった。若松氏同様決して身体のサイズが大きかったわけではないのだが、力強いバッティングに特徴があり、シーズン本塁打40本以上を記録したシーズンもあったほどである。メジャーリーグに渡ってからも存在感を発揮し、日本人内野手がメジャーでも通用することを証明して見せた。」
・平成のヤクルトベストナインってどんな感じなのだろう?(捕手、内野手編) | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)
「三塁手はジャック・ハウエルや川端慎吾、宮本慎也などもいるのだが、私は岩村の名前を挙げさせてもらった。スピードとパワーを兼ね備えたプレーヤーであり、見ていてワクワクする事が出来る選手だった。岩村が1軍に定着し始めた時期は、チームにベテラン選手、中堅選手が多く、成熟したチームである反面、将来のチーム構成に不安を感じる時期でもあった。そんな時期にブレイクした岩村はヤクルトの希望の光そのものだった。プレースタイルは変わったもののメジャーでもある程度の数字を残し、力のある事を証明してみせた。チーム状況や時代背景など環境が上手く整えばトリプルスリーを狙えるだけのものを持った選手だったと思う。試合経験を積むことで守備も大きく上達し、ヤクルトに欠かせない選手として活躍してみせた。」
細切れではあるのだが、上記の通り、何度かブログ記事として取り上げている。
「スピードとパワーを兼ね備えた三拍子揃った選手」
「メジャーで通用した内野手」
「膝の大怪我」
岩村を語る上で欠かせないのはこの3点になるだろうか?
岩村は、身長175㎝とプロ野球の世界では、どちらかというと小柄な部類に入る選手なのだが、筋肉がパンパンに詰まっている印象が強く、その鍛えられた身体でパワーとスピード十分の魅力的なプレーを見せてくれた。宇和島東高校時代は、捕手でプレーしていたこともあり、プロ入り当初は、サードの守備で苦戦していたのだが、打撃では1年目からイースタンリーグで結果を残すなど、当時野手が高齢化し、世代交代が課題となっていたヤクルトの希望の星になってくれていた。プロ3年目には、サードで先発出場する機会も増え、ヤクルトの生え抜きスターである池山から徐々に出場機会を奪っていった。当時の岩村は「若武者」という言葉がよく似合う、積極的なプレーが売りだった。打撃でも守備でも走塁でもミスを恐れずにプレーする姿が印象的である。
プロ5年目には、背番号を48から1に変更するのだが、今思えば、この時点で「1」を任されたことは、大抜擢という言い方をしても良かったように感じる。何せ、規定打席に到達したシーズンはこの時点でまだ1回だけという状況だった。しかしすでに華のあるプレーヤーであり、その後の活躍が約束されたような選手であった。だからこそ池山が手放し、空き番号となっていた「1」を引き継ぐことになったのだろう。そして岩村は、ここからヤクルトの背番号1として、恥じない結果を残すことになる。
01年
打率.287 18本塁打 81打点 15盗塁 ※リーグ優勝、日本一、GG賞)
02年
打率.320 23本塁打 71打点 5盗塁 ※B9、GG賞
03年
打率.263 12本塁打 35打点 5盗塁 ※怪我により60試合のみの出場
04年
打率.300 44本塁打 103打点 8盗塁 ※GG賞
05年
打率.319 30本塁打 102打点 6盗塁 ※GG賞
06年
打率.311 32本塁打 77打点 8盗塁 ※B9、GG賞
03年こそ怪我で数字を残せなかったのだが、他のシーズンの打撃成績は圧巻である。もちろん打高時代と重なった分だけ数字が伸びている部分もあると思うのだが、背番号「1」を務めた6シーズンの内、4度、3割を達成し、3度30本塁打を超えているのは見事である。入団当初は大きな課題となっていた守備面でも大きく進歩し、合計6度のGG賞にも輝いた(背番号48時代に1度受賞)。
この成績はヤクルトの背番号「1」として恥じないものである。06年オフにポスティングシステムを使ってタンパベイ・デビルレイズ(後のレイズ)に移籍した後も、サードやセカンドのレギュラーポジションを獲得し、08年にはチームのリーグ優勝に大きく貢献してみせた。メジャーでは、NPB時代のような長打力を発揮することは難しかったのだが、ある程度率を残せる中距離打者としてチームに欠かせない存在になっていたし、守備面でもメジャーの強者達と渡り合ってみせた。日本人内野手がメジャーでも通用することを証明してみせた。
その後09年にプレー中に膝に大怪我を負い、結果的には、ここから以前の岩村の姿が戻ることはなかった。年齢的にはまだ30歳という年齢であり、打撃面ではまだまだ結果を残せると思っていたのだが、怪我の影響があまりにも大きかったようである。2011年シーズンから日本球界に復帰したのだが、楽天でも古巣のヤクルトでも思ったような数字を残すことは出来なかった。
まだまだこれからという所での大怪我だったため、現役生活後半は、非常に苦しい状況をしいられてしまった。そのこともあってか、どこか忘れられやすい選手になってしまっているような気がする。しかし20代の頃のヤクルトとレイズでの数字を見てもらえば分かるように、若くして日本球界のトップスターの座を掴んだヤクルト史に残る名プレーヤーである。私がヤクルトを応援し始めてから、野手では、若松、池山、古田、宮本、青木、山田、村上など多くのスタープレーヤーが生まれているのだが、岩村も今思えばとんでもないポテンシャルを持った選手だった。もしかするとどこか過小評価されてしまっている選手なのかもしれない。若い世代のヤクルトファンに語り継いでいきたい選手である。
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コメント
広沢がFAで移籍してからしばらくのシーズンを、日本人の四番らしい四番がいない状態だったところに現れた待望のホームランバッターでしたね。
超匿名さんへ
おそらく飛ぶボール時代だったとは思うのですが、和製長距離砲として、素晴らしい数字を残してくれましたよね。