山本樹と河端龍、共通点は、龍谷大を経て、ヤクルトに入団したこと。そしてリリーフとしてチームを支えてくれたことである。当時はストッパー(クローザー)、セットアッパーについては、光が当たることはあったが、それ以外の便利屋的な投手に光が当たることは今以上に少なかった時代である。どこか地味にも映る両投手なのだが、貴重なリリーバーとして、チームを大いに支えてくれた功労者である。「影の仕事人」的雰囲気が好きだった投手である。
山本樹 玉野光南ー龍谷大 92年ドラフト4位
・入団当初は、力投型の荒れ球サウスポーというイメージが残っている。威力のあるストレートとスライダーを中心に組み立てていたと思うのだが、制球難から中々自分のポジションを掴むに至らなかった。その後コントロールが安定してくるとともに結果が付いてくるようになった。石井一や山部といった本格派サウスポーと比べるとどうしても見劣りしてしまう部分はあったが、5~6枚目(谷間)の先発として、また便利屋としてチーム内でのポジションを手に入れると、その後は左の中継ぎとしてチームになくてはならない存在となった。
96年37試合、97年46試合、98年35試合、99年51試合、00年44試合、01年61試合、03年50試合、04年28試合とチーム内でポジションを得てからは、怪我で長期離脱した02年以外は、コンスタントに登板を重ねてくれた。通算405登板という数字は、立派な数字である。
リリーフ専任となってからは、シュートとフォークも効果的に使うようになり、投球の幅が広がった。またコントロールも安定したことによって、プロの世界でこれだけ数字を残せるようになったのではないだろうか?改めて数字を振り返ってみると思った以上に稼働期間が長かったことに驚いた。いわゆる「もっと評価されても良い投手」なのかもしれない。
河端龍 西城陽高ー龍谷大 98年ドラフト5位
・河端は、高校3年の夏に西城陽高校で甲子園大会に出場している。小柄ながらキレの良いボールを投げ込み、絶対的エースとして京都府大会を勝ち上がったことで、それなりに有名な投手となっていた。甲子園では結果を残せなかったものの、個人的に印象に残る投手だった。その河端は、龍谷大でも活躍し、サイズに恵まれないもののドラフト5位でヤクルトに入団した。今の投手で言えば尾仲に近い雰囲気の投手だったように記憶している。尾仲は中々1軍で結果を残せていないのだが、河端は投手としての総合力の高さ+決め球にもカウント球にも使えるフォークという明確な武器を持っていた。龍谷大の先輩山本樹がベテランに差し掛かる01年から頭角を現し、チームのリーグ優勝、日本一に貢献してみせた。01年41試合、02年43試合、03年37試合、04年61試合、05年34試合と右肘の故障と付き合いながらも5年連続30試合以上の登板を重ねるなどリリーフとして確固たる地位を築いてくれた。結局は右肘の故障で06年以降は、08年の引退試合以外1軍のマウンドで登板することはなかったのだが、山本樹同様、目立たなくてもチームに欠かせないリリーバーとして大いに活躍してくれた。05年にチーム事情から先発を任されたゲームでは、しっかり勝ち投手となり、河端にスポットライトが当たったことを覚えている。
高津、五十嵐、石井弘らに比べれば地味な存在ではあったのだが、安心してマウンドを任せられる投手だったことは間違いない。
山本樹と河端龍投球スタイルも左右の違いもあるのだが、縁の下の力持ちとしてチームを支えたリリーバーとしてヤクルトファンにとって忘れられない存在である。
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