上記の通り、ヤクルト球団より「これまで、つば九郎を支えてきた社員スタッフが永眠いたしました。」との発表があった。
つば九郎の長期休養が発表されたのはつい2週間ほど前のことである。
過去記事はこちら→「つば九郎長期休養 | ヤクルトファンの日記」
その時に私は「マスコットの長期休養というものにどう向き合っていけば良いのか分からない部分もある」という言葉を使わせてもらった。正直、今日このブログ記事を書いていても、この訃報に対してどういった言葉を使えば良いのか迷っている部分がある。そして訃報の記事を書くこと自体躊躇ってしまう部分もあるのだが、それでも大好きだったつば九郎を作り上げてくれた社員スタッフに対してどうしても感謝の気持ちを伝えたいと思い、このブログ記事を書くことに決めた。
私がヤクルトファンになったのは、1988年のことである。当時はまだつば九郎は登場していなかった。つば九郎がヤクルトのマスコットとして登場するのは、1994年のことである。私個人の印象としては、ヤクルトスワローズの「ペットマーク」としてのつば九郎が印象に残っている。ポップで親しみやすい「ペットマーク」だなと感じたし、好きな球団のペットマーク、マスコットとしてすぐに受け入れることが出来た。1994年と現在とでは、つば九郎の見た目は変化しているのだが、ペットマーク自体は、変わっていないのではないだろうか?ユニフォームの袖につば九郎のペットマークが入った当時のユニフォームのデザインも好きだった。
そんなつば九郎は、私にとっては好きなプロ野球球団の可愛いマスコットという感じで眺めていたのだが、そのうちただただ見た目が可愛いマスコットではなく、つば九郎のキャラクターというものが確立されていくことを感じることとなる。風刺を利かせた毒舌や愛ある言葉を伝えてくれるフリップ芸、コミカルなアクション、球場のファンを楽しませるTシャツバズーカー、ヒーローインタビューでの茶々入れなど1994年のつば九郎からは想像できなかったような進化を遂げていくこととなる。この進化に大きく貢献したのが、「つば九郎を支えてきた社員スタッフ」であったことは間違いないだろう。今やつば九郎は、ヤクルトファンだけのものではなくなった。他球団のファンからも愛され、野球に興味のない方からも応援されるような国民的なマスコットとなった。これだけ人気者となった大きな要因の一つが「つば九郎を支えてきた社員スタッフ」であった。プロ野球チームやプロスポーツチームにおける一つのマスコット像というものを作り上げてくれた。その功績は非常に大きなものである。
今後「つば九郎」がどうなっていくのかは分からないのだが、今日はとにかく「つば九郎を支えてきた社員スタッフ」様へ感謝の気持ちを伝えたかった。これまで私達ヤクルトファンを楽しませてくれてありがとうございました。
心からお悔やみ申し上げます。
P.S 7,8年位前のことだっただろうか。職場の野球好きの先輩とマスコットの話しとなり、「つば九郎は替えが利かないよね。」という話になったことを覚えている。アクロバットは出来ないけど、あのフリップ芸や笑いの取り方は、唯一無二だよねと…今日の訃報を聞いて、その時の会話を鮮明に思い出しました。
正直マスコットの担当者が逝去したというニュースに接した記憶がないため、今回の事もどう発表するか球団も悩んだと思うのだが、伝えない訳にもいかなかったはずである。それ程までにつば九郎にとって「つば九郎を支えてきた社員スタッフ」の存在は大きかったということなのだと思う。
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コメント
少し前に球団会長の訃報があったばかりで、シーズンインを前に幸先の悪さを感じざるを得ません。
今後のことは球団が決めるとは言え独特のキャラが確立され過ぎており、別の人で継続していくのは厳しいように思えます。ここは引退扱いして永久欠番ならぬ永久欠マスコットとして称えてはどうかなと思います。
長い間ありがとうございました。