「とまぴょん」だったのか「とまピョン」だったのか「トマぴょん」だったのか「トマピョン」だったのか「苫ぴょん」だったのか「苫ピョン」だったのか「TOMAぴょん」だったのか「TOMAピョン」だったのか定かではないのだが、タイトルの「とまぴょん」とは元ヤクルトの笘篠賢治のことである。笘篠が当時人気だったアイドル松本典子氏との結婚報道がなされたときに、松本典子氏が笘篠をことを「とまぴょん」と呼んでいることが話題となったことを覚えている。私は当時まだ小学生であり、良くも悪くも純粋だった。笘篠の結婚はワイドショーなどで大きく取り上げられていたのだが、ヤクルトの選手が大きく取り上げられていることをシンプルに喜んでいたことを覚えている。
私がヤクルトファンになった当時、大好きになった選手が何人かいるのだが、笘篠もその一人だった。もしかしたら私だけなのかもしれないが、幼い頃は何故かイケメン選手に憧れた。笘篠はとにかくカッコ良かった。当時はまだ「イケメン」という言葉はなかったのだが、笘篠はハンサムなプロ野球選手の一人だったのではないだろうか?スピード感あふれるプレーに特徴があるスイッチヒッターで、とにかく魅力的だった。おそらく私がある程度年齢を重ねてから笘篠と出会っていたのであれば、粗さのようなものも目に付いたのかもしれないが、当時の私には、とにかく若さを前面に出したプレースタイルに惹かれるものがあった。プレーは熱くても見た目はどこまでもスタイリッシュであり、スマートだった。私がヤクルトを応援し始めて37年が経過するが、イケメン選手を複数人挙げろと言われれば、この笘篠の名前は必ず入れると思う。それくらいカッコいい選手だった。
しかし、この笘篠、もしかすると野村監督とは馬が合わなかった可能性がある。関根監督が監督だったルーキーイヤーは、セカンドのレギュラーを獲得し、32盗塁を決め、新人王に輝いたのだが、このルーキーイヤーがいわゆるキャリアハイの成績となってしまった。華やかなプレースタイルや身体能力の高さを考えると、通算成績は物足りないと言わざるを得ない。おそらく関根監督の「ノビノビ野球」にマッチした選手だったのだと思う。野村監督の下で自己犠牲やチームバッティングというものを求められる中で笘篠本来の長所が削られていってしまった部分もあるのかもしれない。兄誠治は、黄金期西武でチームを支える職人的な選手として一流の脇役というポジションを掴んだのだが、弟賢治には、そのイメージは残っていない。私は一選手としては、笘篠賢治の方に魅力を感じていたのだが、その能力を十分に発揮としたとは言えないのかもしれない。
若さを全面に押し出した我武者羅なプレースタイルは、若さがあるからこそ光り輝くのだが、その旬の時期に野村監督の野球を叩きこまれる中で、笘篠自身に迷いのようなものが出てしまったのかもしれない。笘篠がもし違うチームに入団していたら、また違った姿が見られたのかもしれない。ルーキーイヤーに見せた華やかなプレーぶりは魅力十分だった。私にとっての笘篠賢治は「華やかさ」と「儚さ」が同居したプレーヤーである。
P.S アイドルの松本典子氏と結婚したという部分も含めて、現役選手であれば高橋奎二のような存在にあたるのかもしれませんね。
そういえばこの「笘篠」一家意外に、「笘篠」という名字を見た記憶がないなあ。珍しい名字なのかな?
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