私が中学生の時、それ程野球に興味のない友人が「オマリーのヘルメット小さ過ぎでしょ!かぶり切れていないじゃん!」と言っていたので、「敢えて小さいヘルメットにして打席での集中力を高めているらしいよ(諸説あり)。」と教えたら、「そんな理由があるの!?オマリー好きになっちゃうわ。」と笑ってくれたことがあった。オマリーは阪神で4年間、ヤクルトで2年間プレーした実力派助っ人外国人選手なのだが、阪神時代の迷曲「六甲おろし」やお立ち台での「阪神ファンは一番やあ!」、「ヤクルトのファンは凄いファン!」などといった絶叫、そして前述のヘルメットのことなどもあり、実力だけでなく、そのキャラクターもファンに愛された選手である。
阪神時代のオマリーは、アベレージヒッターの印象が強く、選球眼が良く、逆らわないバッティングに特徴のある打者だったように記憶している。内角のストレートを力負けせず引っ張ることも出来れば、外角のボールに対して素直にバットを出し、レフト前に運ぶ見事な流し打ちも披露してくれた。穴のない打者であり、抑えるのが難しい打者だった。
そんなオマリーが長打力不足という理由で阪神を戦力外となり、95年のシーズン前に獲得したのがヤクルトだった。広澤、ハウエルがチームを去ることとなり、このオマリーやミューレン、ブロスが加わる中で、新たなヤクルト像を作り上げていくことになるのだが、その中でこのオマリーの存在は欠かせなかった。ヒッターズパーク神宮球場を味方にし、長打力不足で阪神を戦力外になったとは思えないバッティングでホームランを量産し、このシーズンは、打率.302、ホームラン31本、打点87を記録し、シーズンMVPにも輝いた。当時のライバル球団と言えば巨人だったのだが、ヤクルトが苦手とする斎藤雅樹も苦にせず対応していた印象があり、本当に心強い助っ人外国人選手だった。日本シリーズでも活躍し、シリーズでのMVPも獲得している。またこのシリーズ、第4戦でのオリックス小林との激闘は「小林ーオマリーの14球」として日本シリーズの中の名場面として語り継がれている。
96年もヤクルトの4番を任され、打率.315、ホームラン18本、打点97という素晴らしい数字を残したのだが、チームが連覇を逃したこともあってか契約は更新されず、そのまま引退となってしまった。NPBの6年間で毎年3割以上の打率を残したという部分だけ見ても素晴らしい選手だったのだが、改めて数字を見てみると、出塁率の高さが際立っている。阪神での初年度以外は、4割越えで毎年のように最高出塁率のタイトルを獲得している。これは選球眼の良さがなせる業である。
本人の明るく愛嬌のあるキャラクターが語られることが多い選手ではあるのだが、プレーの部分でも超一流の成績を残した助っ人外国人選手である。
P.S 球界再編問題の時にライブドア・フェニックスの初代監督として名前が挙がったことも印象深いですよね(結局「東北楽天ゴールデンイーグルス」が参入となったため立ち消えになってしまいましたが…)。
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コメント
96年限りの解雇は衝撃でした。この成績で何故と思ったものです。厳しい判断でしたね。
超匿名さんへ
確かに96年も成績自体は素晴らしいですからね。様々な事情が絡み合ってのことだったのですかね?
オマリーはパワプロで無双してました!
懐かしい!
アームさんへ
ミートカーソルがかなり広かったですかね?
黄金期のヤクルトは打点が凄いな。古田も9本塁打で86打点とか記録してますしね。
オマリーは会ったことあります。スワローズが少年野球のイベントでサインしてました。私はもらえなかったんですけどね(笑)
この時代のヤクルトフロントは結構ドライなイメージですよね。
saboさんへ
打線が線としてしっかり機能していたことを示す数字なのかもしれないですね。