辻発彦という名前からプロ野球ファンが連想する姿は、黄金期西武の主力として活躍した姿や、西武の監督としてチームを浮上させ、パリーグ連覇を果たした姿などを連想する方が多いのではないだろうか?
私自身も西武の黄金期は少年時代にリアルタイムで経験しており、辻のセカンドで見せる華麗な守備、トップバッターとして投手のボールへ喰らい付いていくバッティング、判断力の高い走塁など、三拍子揃った野球IQの高い好選手としての印象が強く残っている。どの場面においても状況判断に優れており、いわゆる解説者に苦言を呈されることがほとんどない優秀な選手というイメージが強い。
また監督時代に関しても、打撃力を全面に押し出しながら、得点力の高さを武器にパリーグ2連覇を達成したかと思えば、選手の移り変わりが激しいチームを率いる中で、最終的には投手力を武器とした守りに特徴のあるチームを作ったところに、監督としてのマネジメント能力の高さも感じさせてくれた野球人でもある。
やはり選手としても監督としても「西武の辻」というイメージが一般的だとは思うのだが、そんな辻は、選手としての晩年をヤクルトスワローズで過ごしている。若返りを図る西武を戦力外となり、96年からヤクルトスワローズでプレーしたのだが、年齢はすでにアラフォー世代とすでに大ベテランと言っても良い年齢での入団だった。しかしこれまでの野球人生で身に付けてきたスキルは間違いないものがあり、前年セカンドのレギュラーとしてリーグ制覇、日本一に貢献した土橋からレギュラーポジションを奪取するほどであった。
この年は、開幕直後に右手を骨折し、復帰したのは5月からだったのだが、ここから驚異的なペースでヒットを重ねていくこととなる。辻はそれまでパリーグでプレーしており、セリーグの投手や攻め方には慣れていなかったはずなのだが(交流戦が始まる前の時代であるため)、そんなことはお構いなしにヒットを量産する姿を見て、「やっぱり辻って凄いんだ!」と感動したことを覚えている。バットを短く持って、ぎりぎりまでボールを呼び込んで、右方向へ流し打つ打球は芸術的でさえあった。堅実な守備、判断力の高さも健在だったのだが、バットでここまで結果を残すことは個人的には予想外だった。結局このシーズン、辻は、自己最高となる打率.333を記録した。後一歩のところで両リーグでの首位打者は逃してしまったのだが、「ここまでやれるのか!?」、「流石黄金期西武を支えた辻だ!」という感想を持ったものである。
翌年以降は、徐々に出場機会を減らしていくことになるのだが、97年はリーグ優勝、日本一にも少なからず貢献し、その後も若手を育てるという意味で、大きな役割を果たしてくれた。96年~99年までのヤクルトでの4年間は、辻発彦の野球人生の中で決して多く語られる時代ではないのだが、辻発彦のプレーヤーとしての質の高さを改めて感じることが出来る4年間になったのではないだろうか?
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コメント
今振り返るとヤクルトには西武黄金期のメンバーが何人かプレーしましたよね。
現在も西武は流出が激しい球団ですが、黄金時代のメンバーは辻以外もリーダー格の石毛や主砲の秋山や清原も西武で現役を終えることがなかったことは、私が西武ファンだったら寂しく感じたと思います。
超匿名さんへ
私は、西武黄金期のメンバーでヤクルトでプレーした選手と言うと辻と渡辺久が印象的です。
西武黄金期のメンバーが他球団に移籍してしまったことを森光子氏が悲しんでいたことを何となく覚えています。