近年ドラフト時などに「ロマン枠」、「ロマン砲」という言葉をよく聞くようになった。いわゆる粗削りであっても成長した時に超一流プレーヤーになる可能性がある選手のことを示している言葉である。「ポテンシャルの高さ」という言葉だったり、「ハイシーリング」という言葉だったりで表現されることもあるだろうか?
ドラフト時や若手時代にワクワクさせてくれるような選手達のことである。
私は、1988年からヤクルトファンになったのだが、それ以降にも様々な「ロマン枠」の選手が存在していた。今日はそんな「ロマン枠」の選手のことを書いてみたい。とは言っても「ロマン枠」というものの定義に関しては、各々違ってくると思うため、あくまでも私なりの「ロマン枠」ということになってしまうが、良かったらお付き合いしてもらいたい。
まず「ロマン枠」から実際に球界を代表するプレーヤーに成長した選手を確認しておきたい。
91年ドラフト1位石井一久(東京学館浦安)
・異才石井一久引退 | ヤクルトファンの日記
95年ドラフト4位石井弘寿(東京学館)
・石井弘寿投手引退 | ヤクルトファンの日記
96年ドラフト2位岩村明憲(宇和島東)
・岩村明憲を語りたい! | ヤクルトファンの日記
97年ドラフト2位五十嵐亮太(敬愛学園)
・五十嵐亮太引退 | ヤクルトファンの日記
00年ドラフト5位畠山和洋(専大北上)
・畠山和洋引退 | ヤクルトファンの日記
02年ドラフト1巡目高井雄平(東北)
・雄平引退へ | ヤクルトファンの日記
ドラフト上位の選手も多く、「この選手はロマン枠ではないよ。」と感じる読者の方もいるかもしれないが、私の中では、どの選手も「ロマン枠」として期待していた選手である。いわゆる「0か100か」タイプの選手も多いのではないだろうか?どの選手も本当に大きく成長し、球界を代表するプレーヤーになった選手ばかりである。全員高卒でプロ入りした選手ばかりなのだが、高卒選手というものは、やはり「モノになった時は大きいな。」と感じることが出来る。成功選手に関しては、各々過去記事で触れているため、今日は触れないでおきたいと思う。
今日のメインは、「ロマン枠」としてワクワクさせてくれたが、プロの壁に跳ね返されてしまった選手についてである。ワクワクさせてくれた逸材について簡単に触れてみたい。
長嶋一茂(87年ドラフト1位 立大)内野手
・私がヤクルトスワローズファンになったのは、88年からであり、最も古いドラフト会議の記憶は、89年からであるため、ドラフト時の空気感はリアルタイムで感じることが出来なかったのだが、長嶋一茂に関しては「ロマン枠」と欠かせないプレーヤーだろう。「ミスタープロ野球」長嶋茂雄の息子ということだけでもとんでもない注目度の高さがあり、ルーキーイヤーから一挙手一投足が追いかけられた選手である。おそらくは、注目度と実力派比例していなかったと思うのだが、私自身、長嶋一茂が巨人のガリクソンからプロ入り初ヒットとなるホームランを放ってからのヤクルトファンであるため、この選手を外すわけにはいかなかった。
完成度は低くとも、サラブレットらしい良質の肉体を持ち、「もしかしたら、やってくれるのではないか?」と思わせてくれる魅力があった。プロ野球選手として花開くことはなかったが、スワローズ史に残る選手であることに違いはない。
高梨利洋(91年ドラフト5位 札幌第一)内野手
・右の長距離砲である。2軍ではやることがないくらいの結果を残せるようにはなっており、96年シーズンには1軍でもある程度のチャンスを与えられたのだが、そこで結果を残すことが出来なかった。打席での見栄えも良い選手だっただけに期待したのだが、1軍の壁を突破することが出来なかった。畠山のようになり得るだけの能力を持った選手だったのではないだろうか?
平本学(00年ドラフト1位 立命大)投手
・平本がヤクルトを逆指名してくれた時、私は大いに喜んだ。雄大な身体を持ち、サイドスローから150キロを超えるストレートを投げ込む平本は「ロマンの塊」だった。当時こういったタイプの投手は、ほとんどいなかったと記憶している。先発でもリリーフでも成長すれば、とんでもない選手になるのではないか?という予感があった。しかし実際には、プロのストライクゾーンに大いに苦しみ、プロ1年目の消化試合で登板した際にアウトを1つ獲ることに大苦戦した姿をスポーツニュースで目撃し、ショックを受けたことを覚えている。その後平本は、1軍でほとんど登板することなく引退することになってしまった。私の中での「ロマン枠」№1は、この平本だったのかもしれない。
リーゴ(ロドリゴ宮本)(00年ヤクルト入団)投手
・ツギオ(ツギオ佐藤)、ユウイチ(松元ユウイチ)と同時期にブラジルからヤクルト入団した。ツギオ、ユウイチ、リーゴの中でも私が最も期待していたのは、リーゴである。正直投げている姿は見た記憶がないのだが、選手名鑑などに記されていた「150キロを超えるストレート」、「ヤンキースをはじめとするメジャー球団が注目」、「ブラジル代表のエース」という言葉に心を踊らされた。実際には怪我に泣き、結果を残せなかったのだが、もし怪我をしなければどうだったのだろう?ということを想像したくなる投手だった。ヤクルト入団前の投球している姿を一度は見てみたかった。
泉正義(02年4巡目 宇都宮学園)投手
・2002年の神ドラフト? | ヤクルトファンの日記
上記の記事で『この年の高校生投手で左の№1が高井なら、右の№1は間違いなく泉だったのではないだろうか?泉に関しても1年時の甲子園での投球に度肝を抜かされた記憶がある。1年生とは思えない落ち着いたマウンド捌きで140キロに迫るストレートとキレの良い変化球をしっかりコントロールすることが出来ていた。「とんでもない才能を持った投手がいるものだな。」と感じたものである。しかしこの泉に関しては、ネットをやっていない私でも肩の故障や素行の悪さが伝わってくるという非常に危うさを感じる投手でもあった。それでも高校3年時はエースとしてマウンドを守り、ストレートのスピードも150キロにまで達していたため、夢のある投手だと感じていた。結局肩の故障もあり、プロでは全くマウンドを踏めなかったのだが、この投手を初めて見た時の衝撃は忘れられない(自分が高校3年生の時に高校1年生だった世代なので衝撃が大きかったという部分もあると思うのですが…)。』
と書かせてもらった。プロでは怪我もあり全く登板出来なかったのだが、リーゴ同様怪我をしなかったらどうだったのか?という部分を想像したくなる投手である。
片山文男(02年ドラフト6巡目 日章学園)
・上記記事では、片山についても触れている。「6巡目で指名された片山に関しても当時の高校生では希少だった150キロを超えるストレートを投げ込めるポテンシャルの高い投手だった。甲子園では興誠高校ととんでもない打撃戦を繰り広げ、甲子園の名勝負(迷勝負?)として挙がってくることもあるのだが、この時に片山の名前はしっかり記憶させてもらっていた。確かエースではなくかなり粗削りで、スピードの割に相手打者に対応されてしまう印象があったのだが、150キロという数字は魅力的に映った。」と書かせてもらっている。スポーツドキュメンタリー番組でも特集され、真面目にトレーニングに励む姿が印象に残っている。化ければ面白いと感じていた投手である。
吉田幸央(03年ドラフト5巡目 城郷)投手
・プロ入り前から波乱万丈の野球人生を送っており、異色の経歴と確かな才能が評価されていたビッグマウスの投手だった。ストレートとスライダーという明確な武器があり、打者を打ち取る本人なりに必勝パターンを確立している投手だった。ちょっとヤンチャな雰囲気含めて面白い選手だな?と思っていたのだが、体調を崩し、プロ入り後わずか半年で引退となってしまった。実際どんな状況で引退になってしまったのか分からない部分も多いのだが、あまりにも早い引退は残念だった。
田川賢吾(12年ドラフト3位 高知中央)投手
・190センチ近い長身から投げ込まれる質の良いストレートは、田川の投げる才能の高さを感じさせてくれた。プロで結果を残すまでにあまりにも時間がかかり過ぎてしまった印象である。質の良いボールを持っていただけに、投手として育てることに異論はなかったのだが、個人的にはどこかのタイミングで打者として見てみたい選手だったと思っている。身体の動きにしなやかさを感じさせてくれる選手だっただけに打者としても柔らかさを力強さを兼備したバッティングを見せてくれたのではないか?と思いを馳せたくなる選手である。
原泉(14年ドラフト7位 第一工業大)
・喜界島の大砲、原泉もロマンに溢れた選手だった。徐々に2軍クラスの投手にはアジャスト出来るようになっていただけに個人的には、もう1年ヤクルトでプレーする姿を見てみたかった。個人的にショックを受けた14年ドラフトの中で、ドラフト7位で無名ながらも長距離砲の原泉を獲得してくれたことが唯一の救いだったことを思い出す。
すでに引退もしくは、NPBを去った選手の中では、個人的にはこのような選手が「ロマン枠」とし思い浮かぶ。どの選手もポテンシャルの高い選手だった。しかしそんな選手がぞろぞろ転がっているのがプロの世界である。こういった選手を振り返ることで、改めてプロの世界のレベルの高さを感じることが出来る。
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