北別府氏が伝説となった…200勝達成した92年7・16中日戦「正直、ホッと」広島初の1億円プレーヤー(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース
上記の通り、本日北別府学氏が死去したとのニュースが飛び込んで来た。私も40歳になるため、今後もこういったニュースに向き合わなければならない機会が増えてくるのだが、バリバリ活躍していた現役時代を知っている方のこういったニュースには慣れることが出来ない。どうしてもショックを受けてしまう。
私がプロ野球を見始めたのは1988年からなのだが、当時の広島のエース格の投手の1人が北別府だった。すでに30歳を過ぎ、全盛期ということではなかったようだが、それでも抜群のコントロールでコンスタントに試合を作る姿は印象的であり、当時でも「広島のエース」という認識で観戦していたように記憶している。北別府と言えば何と言ってもスライダーとシュートを駆使して、内外角を広く使った投球で打者を打ち取って行く技巧的な姿である。76年から投げ続けてきた北別府は今の投手に比べれば、投げる球数もイニング数も多かったはずなのだが、30代中盤になっても先発ローテを守った所に凄さを感じる。打者を見ながら試合をコントロールする術に長けていたからこそ、長年に渡り結果を残し続け、通算213勝という記録を達成できたのだと思う。
ここ数年闘病生活を続けているとの話しは聞いていたのだが、65歳という年齢はあまりにも若過ぎる。
ご冥福をお祈りします。
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コメント
この人が二百勝目前となった頃から引退まで、ヤクルト戦に登板する場合を除いて応援していました。思えば二百勝という数字が私にとって特別なものとして、今だに強い印象が残っているのはこの人が原因です。
当時は狭い球場であった広島市民球場でも、彼の他に大野、佐々岡、川口といった好投手の名前が浮かびます。ヤクルトも神宮の狭さだけに、いつまでも投手が育たないと言っていてはいけないでしょう。
超匿名さんへ
「北別府」という珍しい苗字も相まって印象に残っている投手です。時代の違いはありますが、確かに狭い広島市民球場で戦いながら当時の広島は投手王国でしたもんね。