ヤクルト奥川が開幕絶望 コンディション不良でノースロー調整に 高津監督「残念ですね」とショック隠せず― スポニチ Sponichi Annex 野球
スポニチアネックス引用
上記のスポニチの記事の通りである。復帰に向け、1軍キャンプに抜擢され、練習試合でも登板出来ていたため、このまま予定通り登板を重ねることを願っていたのだが、このタイミングで離脱となってしまった。奥川への想いについては、「奥川恭伸を憂う | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)」で書いた通りである。この記事は、昨年の10月に書いた記事であり、その後フェニックスリーグでの登板、1軍キャンプへの参加、練習試合での登板と順を追って調整が進んでいるように感じたため、ファンとして少し安堵していた部分もあったのだが、やはり怪我との闘いというものは、思ったように進んでくれないものである。右肘という部分で言えば、手術を選択せず、おそらく奥川本人は、23年シーズン中の復帰を思い描いていたと思うのだが、23年シーズン中の1軍登板は叶わず、ほぼ2シーズン丸々棒に振ることになってしまった。「今年こそは!」という思いは、本人が最も強く思っていたはずである。しかしこのタイミングで離脱となってしまったため、やはり本人のメンタル面が心配である。投手の肘、肩については、「消耗品」と言われる部分もあり、一度故障してしまうと、そこからリカバリーすることが簡単ではないことは、過去の故障に苦しんでいた投手を何人も見てきているだけに何となく理解しているつもりである。本人が強く願っても、治療法を慎重に選択しても、思ったような結果に繋がる訳ではない。
奥川は、21年シーズンにリーグ優勝、日本一に大きく貢献したように、プロの世界でも特別な才能を持った投手である。怪我後のイースタンでの調整登板でも本調子でなくともある程度の結果にまとめてしまう所を見ても、圧倒的な投げるセンスを感じさせてくれる投手である。確かに星稜高校時代に酷使してしまった部分はあったかもしれないが、試合全体をコントロールしてしまうような技術を持った奥川は、当時比較された佐々木朗希、宮城大弥、西純矢、及川雅貴辺りと比べても、将来的に計算出来、大きな故障リスクの少ない投手だと勝手に感じていた。そしてヤクルト球団もその奥川を大事に扱ってきた。それでも故障という悪夢が奥川に襲い掛かってきた。投手と怪我の問題は、野球界にとって永遠の課題なのだと思う。アマチュア時代の投球数含め、今後も議論を続けていかなければならない部分なのだと思う(もちろん星稜高校時代の起用法については、何の不満も持っていません。この世代は、佐々木朗希の県大会決勝の登板回避が社会現象になったんですよね。数年後投手の負担軽減という部分でターニングポイントとなった時期として取り上げられる可能性はあるかもしれませんね。)。
過去記事→「国保陽平監督と佐々木朗希 | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)」
これまでも多くの投手が故障で本来の輝きを失ってきた歴史がある。この課題にどう向き合っていけば良いのだろ。
荒木大輔「私にとっての「荒木大輔」 | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)」
・私が初めて荒木大輔の投球を見たのは、92年シーズンのことなのだが、早稲田実業1年次から「大ちゃんフィーバー」を巻き起こしたスター投手である。その荒木は、88年シーズン途中に怪我で離脱し、右ひじの手術後復帰するまで4年の歳月を要した。1541日ぶりに復帰した際の神宮球場の興奮した雰囲気は忘れられない。
岡林洋一「熱投!岡林洋一! | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)」
・ルーキーイヤーは、先発にリリーフにとフル回転。2年目のシーズンとなった92年は、エースとしてリーグ優勝に貢献し、日本シリーズでは、3試合に先発し3完投(内2試合は延長戦)という昭和のエースを思い起こさせるような熱闘でヤクルトファン、野球ファンの胸を熱くさせてくれた。
ここからは怪我との闘いとなり、95年には右肩を手術し、その後は全盛期の輝きを取り戻すことは出来なかった。
伊藤智仁「伊藤智仁とS.ストラスバーグ | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)」
・ヤクルトの投手と怪我というテーマでは最も多く語られる選手ではないだろうか?細身の身体から右腕をしなやかに使い、ストレートとスライダーで三振の山を築いた93年のルーキーイヤーのインパクトは歴代でも屈指である。しかしその93年シーズン途中に怪我で離脱するとその後2シーズンを棒に振ることとなる。
97年シーズンはリリーフとして復活し、ルーキーイヤーに負けず劣らずのストレートとスライダーで結果を残してみせた。98年~00年シーズンは、先発として結果を残したのだが、その後は故障のため登板もままならない状態が続き、03年に引退を決意することとなる。
引退を発表した後の「Getsports」の中で当時キャスターを務めていた栗山英樹氏が「自分勝手な思いですが。」と断った中で「もし1年間休んで、肩の状態が戻るのであれば現役復帰という選択肢も消さないで貰いたい。」という主旨の発言をしていたことが忘れられない。それ程までに才能に溢れた投手だった。
川崎憲次郎「巨人キラー 川崎憲次郎 | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)」
・私の中では、89年~91年シーズンのストレート、カーブ、SFFを中心とした「THE本格派」の川崎の印象が強い。故障後は、シュートを覚えて新たなスタイルで復活を遂げている。FAで中日に移籍した以降は、右肩の故障に苦しみ、俗にいう「川崎祭」など誹謗中傷にも苦しむこととなる。大きな離脱は中日に移籍した後だったのだが、メンタル面含めて怪我と戦った投手という印象が残っている。
石井弘寿「石井弘寿投手引退 | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)」
・ヤクルト史に残るリリーバーの一人である。特に02年~05年までの投球は、相手打者を圧倒できるものだった。高津や五十嵐と共に一時代を作ったのだが、安心してみていられるという意味では、高津、五十嵐以上のものがあった。しかし06年のWBCで左肩を故障し、ここから長いリハビリ生活に入るのだが、怪我前の投球が戻ることはなかった。02年~05年の投球は12球団を見渡しても№1候補だったのではないだろうか?
館山昌平「館山は靭帯再手術へ。全治1年。 | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)」、「館山右肘手術へ | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)」、「館山昌平は無事戻ってこれるのか? | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)」、「館山右肘手術 | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)」、「館山が右肘と右肩を手術 | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)」、「館山昌平引退 | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)」
・これだけのブログ記事を書いていることからも分かるように、2013年以降の館山は、怪我に必死に抗う姿を見せてくれた。2011年、2012年シーズンの命を削るような激投が忘れられない。本人の覚悟が伝わる姿だった。この館山の姿はある意味ではプロフェッショナルの姿なのかもしれない。
由規「由規手術へ | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)」、「由規が1771日ぶりに戻ってきた! | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)」
・MAX161キロのストレートを武器に若くしてヤクルトの先発ローテーションに喰い込んだ由規も怪我で長期間リハビリ生活をしいられた投手である。荒木は復帰までに1541日を要したのだが、由規はそれ以上の1771日という時間を要した。そこには、怪我前の剛腕の姿は無く、スライダーを上手く使った投球スタイルにモデルチェンジを図っていた。その姿を見るだけでも怪我との闘いの壮絶さを感じたものである。
私が応援し始めた以降のヤクルトを振り返るだけでも怪我で長期間離脱した選手は数多くいる。今日取り上げた投手はいずれも特別な才能を持っていた投手ばかりである。本人も関係者も必死になって怪我と闘ったはずである。それでも想定通りに進まないのが肩、肘の故障である。各投手の手術のその後というものを振り返ってみても、治療の選択一つとっても非常に難しいことが伝わってくる。
今回の奥川のコンディション不良がどのようなものなのかは分からないが、一ファンとして応援し続けるとともに、それなりの覚悟も持たなければならないと思っている。
P.S 私は、川端が腰の手術をした際にブログでこんなことを書いている。
「川端ヘルニア手術決断 | ヤクルトファンの日記 (ysfan-nikki.com)」
「2月のキャンプ中に椎間板ヘルニアを発症した川端は、手術をせずに今シーズン中の復帰を目指していたのだが、復帰の報道があってもその都度違和感や痛みを感じてしまい、中々復帰出来ない状況が続いていた。そしてついに手術を決断したとの報道である。
私のような素人がワーワー騒ぎ立てても仕方ないのだが、ここ数年のチーム内の怪我人(長期離脱者)の多さを考えるとどうしてもざわざわした気持ちになってしまう自分がいることもまた事実である。
今回の決断については川端本人やチームのトレーナーなどでしっかり話し合って至った決断だと思うのだが、手術する必要があるのであれば早目の決断は出来なかったのか?という話しはどうしても出てきてしまうと思う。もちろん2月の時点ですぐに手術に踏み切ることは難しかったのかもしれないが、上記にも書いた通りここ数年チーム内での怪我人が相次いでいるだけにどうしてもファンが今回の川端の件についても不信感を抱いてしまう部分はあると思う。ヤクルトの課題が集約されたようなニュースである。」と。
当時の私は、この判断の遅れに多少なりとも不信感を持っていたのだと思う。しかし今思えば少し軽率なブログ記事になってしまっているような気がする。川端はそれこそ選手生命を賭けて手術を選択したはずである。その後レギュラーに定着することは出来ず、今では代打の切り札としてプレーしている。しかし当時の川端は年齢的にもまだまだレギュラーポジションを奪い返すことを最優先に考えていたはずである。そう考えると簡単に手術に踏み切る訳にも行かなかったことが見えてくる。
おそらく奥川に手術を勧めるファンの方々は、奥川のことを高く評価しているのだと思う。だからこそもどかしさを感じている方がほとんどなのではないだろうか?奥川自身にも様々な声が入ってくると思うのだが、こんな時だからこそ冷静な判断をしなければならない。
多くのヤクルトファン、野球ファンが奥川の復活を強く願っている。
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コメント
今年は一軍マウンドでの姿が見られそうだったところでの、この情報にはがっくりきますね。
石川や小川みたいに故障離脱が少ない投手との違いは何かと考えさせられます。過去のドラフト1位投手を中心に故障に苦しむ選手が多いと感じます。近年だと山下、ルーキーの西館も故障だし、ちょっと辟易しているのが正直な気持ちです。そうは思いたくないのですが、スカウトの目利きなのか、球団の環境や設備の問題なのか、指導や練習方法が悪かったりするのかと。
超匿名さんへ
復帰への道程は簡単ではないことは理解していたつもりですが、現実として離脱してしまうと少なからずショックは受けますよね。
投手と怪我の問題については、ヤクルトだけでなくどのチームも課題は持っていると思います。高津監督が就任して以降、負担を減らすような起用法にはなっていると感じています。