私がヤクルトファンになったのは1988年。まだ小学校に上がる前の出来事である。先日の記事で書いたように最初に好きになった選手は池山だった。80年代後半~90年代前半については、ヤクルトスワローズというチームは若手選手が勢いよく飛び出し、明るさを感じさせてくれる球団だった。そんな若くて魅力的な選手が大好きだったのだが、その一方で「昭和のおじさん感」を身に纏ったベテラン選手の存在も忘れてはならないものだった。
当時私はまだ保育園や小学校低学年という年齢だったため、ベテラン選手というものは、やはりおじさんに映ったものである。杉浦亨、八重樫幸雄、金沢次男辺りは特に「おじさん感」を感じさせるプレーヤーだった。
杉浦は、私がプロ野球を見始めた頃には、まだヤクルトでレギュラーとして試合に出場することもあり、東京ドームでの巨人戦で杉浦のホームランで勝ったゲームをテレビ観戦したことを薄っすらと記憶している。温厚そうな表情とがっちりとした体型が印象的である。そんな杉浦も徐々に出場機会を減らしていき、92年にはほとんど試合に出場することもなくなり、私の中でも気になる選手ではなくなっていた。しかしその92年の日本シリーズでの伝説の一振りで、杉浦という選手に魅了されることになった。92年の日本シリーズ第1戦での「代打サヨナラ満塁ホームラン」である。私が応援し始めてから初めて見る日本シリーズでのあまりに劇的な一発に当時小学4年生だった私は大興奮したし、一気に杉浦のことが好きになってしまった。西武の守護神鹿取に追い込まれながらも高めのボールを完璧に捉えたライトスタンドへのホームランは、もしかすると私の中で最も印象的なホームランになっているかもしれない。捉えた後の杉浦の仕草、表情含め非常に美しいホームランだった。この年日本一にはなれなかったのだが、このシリーズでの杉浦の存在感は際立っていた。
八重樫は、ぽっちゃりとして見える体型とメガネ、極端なオープンスタンスに特徴のある捕手だった。私が応援し始めた頃のヤクルトの正捕手は秦であり、八重樫はすでに代打としての印象の方が強かった。当時はメガネというものがおしゃれアイテムというものではなかった時代である。お世辞にもカッコいいとかスタイリッシュという言葉は似合わない選手だった。しかし打席での極端なオープンスタンスの構えは幼い私にはインパクト抜群だった。確か私の地元である長野県の松本県営球場でのゲームで場外ホームランも放っているのではないだろうか?パンチ力のある打撃含めて見ていて期待感のある選手だったし、真似をしたくなる選手だった。
もう一人当時特に「おじさん感」を感じた選手として、金沢次男を挙げたい。こちらもぽっちゃりとして見える体型にメガネをかけたサイドスロー投手ということで、個人的には「投手版八重樫」といったようなイメージがある。正直、よく抑えたという印象はないのだが、台所事情が苦しかった当時のヤクルトでリリーフとして、どんな場面でもよく投げてくれていた印象は残っている。どこか手投げにも感じてしまうようなサイドスローで、コントロールもバラつきがあった印象なのだが、今思うとリリーフとしてイニングを喰ってくれる貴重な存在だったのだと思う。
その他にもいぶし銀のイメージのある角富士夫や晩年ヤクルトに移籍してきた角盈男、新浦壽夫、先発としても活躍した中本茂樹辺りは、当時キラキラしていた池山、広澤、笘篠、飯田、古田、城、内藤、荒木、川崎、岡林、加藤、高津、などとは対極にいるイメージを持っていた。そんなベテラン選手の存在の大きさが分かってきたのは、私がもう少し歳を重ねてからのことである。
今の小学生のヤクルトファンにとっては、石川や青木はやはり「おじさん」のイメージがあるんですかね?もちろんあるものだと思うのですが、今日触れた選手については「昭和のおじさん」のイメージなんですよね。
P.S ちなみに若松勉に関しては、実況や解説の話し方から「おじさん」というよりは、当時から特別な選手ということは理解できており、今で言う「レジェンド」のような存在(もちろん当時の私はそんな言葉は知りませんが…)として認識していました。
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コメント
自分は1986年生まれで、ヤクルトの渋い選手の印象は金森栄治氏ですね。
ここぞの場面で代打で登場し、しぶとくヒットを放つのが印象的でした!
今の現役選手では宮本丈がそうなってくれると信じています。
アームさん
金森も最晩年はヤクルトでしたね。小柄ながら息の長いプレーヤーでしたよね。