今日は、あくまでもヤクルトの外野手として活躍した栗山英樹について触れてみたいと思う。栗山と言えば、若くして現役を引退し、その後は、スポーツキャスターとしてニュース番組や時にはバラエティ番組(引退直後はクイズ番組などに出演していた記憶が微かに残っている。)にも出演し、現役時代同様、爽やかなイメージをお茶の間に与えていた印象がある。
2012年に日本ハムの監督に就任してからは、日本ハムを日本一に導くなど監督として結果を残し、2023年には日本代表監督として、WBCを制覇してみせた。今となっては、「監督」栗山英樹、「野球人」栗山英樹として語られることが多くなった人物である。
私は、1988年からヤクルトファンになったため、栗山の現役時代を3年程見ることが出来ている。当時すぐに好きになったのは野手であれば池山や広沢という主力打者や打てる捕手秦、若きスピードスター笘篠らだったのだが、幼い私にとって栗山も好きな選手の一人だった。クラウチングスタイルのスイッチヒッターであり、走攻守三拍子揃った外野手だった。
シュアな打撃で広角にヒットを放つバッティングも印象的だったし、センターの守備で見せる、派手で美しいダイビングキャッチも印象に残っている。池山や広沢のようなスーパースターではなかったのだが、華やかさと泥臭さの両面を兼ね備えた人気選手だった。
そして当時若くて勢いが出始めたヤクルトを牽引していくのではないか?という雰囲気が当時の栗山には出始めていたのではないだろうか(実際には私自身が幼かったため、そこまでの存在ではなかった可能性もありますが…)?
しかし、そんな栗山は、90年シーズン開幕時にレギュラーを柳田に譲ることとなってしまった。そのことは、過去記事でも多少触れている。→「ほんの一瞬の輝き。柳田浩一 | ヤクルトファンの日記」
野村克也新監督にとって開幕時点での柳田の存在は、新しいヤクルトの象徴のような存在であったように感じる。私は、この柳田に強く惹かれたのだが、その反面、それまで好きだった栗山の出場機会が目に見えて減ってしまっていたことは幼いながらに感じていた。そして栗山は、90年シーズンを持って現役を引退することとなる。引退時には、「メニエール病」を患っていることも発表されていたはずである。私自身、そんな病気があるのか?と驚いたことを覚えている。
ヤクルトファンになったばかりの頃に好きになった選手が引退してしまうという経験が初めてのことだったため、驚きとともに戸惑ったことも覚えている。まだ小学校2年生だった私にも、栗山の引退が明らかに早いことは理解出来ていたと思う。88年、89年とレギュラーで試合に出場していた選手が90年には引退してしまうのだから…。
私が栗山のプレーを見ることが出来たのは、たった3年間だけだった。それでもプレーしていた姿は、はっきりと記憶している。守備、走塁におけるスピード感溢れるプレー、打席で見せる相手投手のボールに喰らい付いていく姿、爽やかな見た目。
栗山英樹は、スポーツキャスターとしても監督としても超一流の人物になったと思うのだが、選手としても実力者だったことを語り継いでいきたい。活躍した期間は短かったかもしれないが、魅力的な選手だった。
P.S 裏事情は全く分からないのだが、私が年齢を重ねるとともに野村監督と栗山との関係性があまり良くなかったのでは?という情報を耳にする機会が増えた。実際には、どうだったのだろう?確かに野村克也氏が栗山英樹氏のことを評価するようなコメントは、あまり目にした記憶がなく、何となく本当に確執があったのかな?と想像するのだが、栗山のプレースタイルや野球に対する姿勢は、野村監督が好みそうなタイプの選手にも感じるのだが…。
個人的にはちょっと不思議な話だなと感じています。
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