森下広一

陸上競技


思い出ショートショート㉒
私が最初に覚えた長距離ランナーは、中山竹通で間違いないと思う。地元のスターであり、1988年のソウル五輪の時には、親や親戚が中山を応援していたことを薄っすらと覚えている。「瀬古」、「新宅」という名前もこの時に覚えたと記憶している。ソウルオリンピックで中山は、メダル(金メダル)を期待されながらも4位に終わってしまい、周りが何となく落胆していたことも覚えている。それでもこの時にマラソンと言えば中山竹通という印象が私の脳裏に強く刻まれたことは確かである。その頃から長距離種目をテレビで観戦することに興味を持ったのだが、その頃トラックで日本№1の選手だったのが、森下広一だった。小柄ながら躍動感のある走りを見せ、ラストで見せる切れ味鋭いスパートは、ファンを魅了した。旭化成のシンプルなユニフォームもよく似合っており、私は、この森下広一のファンとなっていった。
アジア選手権や世界陸上でのトラック種目での活躍は、今でも覚えている。その森下が満を持してマラソンデビューを果たしたのは、91年の別大マラソンだった。デビュー戦で森下は、日本トップの実力者中山とのマッチレースを制し、2時間8分53秒という当時の初マラソン日本最高記録を叩き出してみせた。レース終盤、中山が森下の肩を叩いて、スパートを促した場面は、スポーツニュースで何度も取り上げられ、世代交代を象徴するような場面となった。
翌年のバルセロナオリンピック選考レースとなった東京国際マラソンでも森下は、中山とのマッチレースを制して、代表の座を勝ち取ると、バルセロナオリンピックでも黄 永祚と激しいデッドヒートを繰り広げ、見事銀メダルに輝いてみせた。
私が森下を応援し始めたのはおそらく1990年のことだったと思うのだが、90年~92年という3年間は、森下の全盛期であり、少年だった私は、その魅力に引き込まれてしまった。
結局森下は、バルセロナオリンピック後は怪我に悩まされ、結果を残せなかったのだが、私の中では強烈な輝きを放ったランナーの一人である。
森下のフルマラソン全3戦をテレビ観戦出来たことは、今思えば幸せな事だった。陸上長距離の若いファンの方からすれば、伝説のランナーなのかもしれませんね。




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