高岡寿成は、近代日本長距離界の結晶だ!

陸上競技


思い出ショートショート㉓
競走馬ディープインパクトがクラシック三冠を達成した菊花賞で実況アナウンサーが「これが日本近代競馬の結晶だ。」と言葉を紡いだのだが、この言葉を引用したくなるのが、高岡寿成というランナーである。
私が物心が付いた時には、すでに日本を代表する長距離界のスターだった。カネボウのオレンジのユニフォームを身に纏った長身の高岡の姿は、とにかく目立っていた。大きなスライドでスーッと伸びるような走りは、他のランナーとは一線を画していた。私は、物心が付いた頃から箱根駅伝には興味を持っていたため、箱根駅伝を走る関東の大学生の印象がどうしても強くなってしまうのだが、それらのランナーをちぎってしまう高岡の走りに衝撃と格の違いのようなものを感じたものである。5000m、10000mでの圧倒的な走りは、日本では敵なしと言っても良いような存在だった。大学時代からのスター選手であり、知名度抜群だったヱスビー食品勢(平塚、花田、渡辺ら)を相手に勝ち切る姿は印象に残っている。
そしてシドニー五輪では、10000mで7位入賞を果たす。80年代後半から世界との差が開き続けていた長距離トラック種目での入賞は、快挙と呼んで差し支えないだろう。
そんな高岡が満を持して、初マラソンに挑戦したのは、30歳を過ぎてからだった。カネボウの伊藤國光監督と二人三脚で作り上げてきたスピードをついにマラソンの舞台で披露する日が来たのだが、初マラソンの福岡国際マラソンでいきなりサブ10を達成すると、続くシカゴマラソンでは、世界の強豪を相手にレース後半に自分から飛び出し、最終盤まで当時の世界記録を上回るペースで粘ってみせた。最後にハヌーシ、ジェンガに交わされ、3位に終わってしまったのだが、2度目のマラソンで叩き出した2時間6分16秒の日本記録は、伝説の記録となった。
2000年に藤田敦史が福岡国際マラソンで日本最高記録で優勝するなど、何とか喰らい付いていた部分もあったのだが、当時の日本マラソン界は、世界のトップから陥落し、差が開くばかりの時期だった。そんな時にマラソンに挑戦し、シカゴマラソンという大舞台で日本最高記録を達成した高岡は、やはり「近代日本長距離界の結晶」と言っても過言ではない存在だったのではないだろうか?当時の日本記録は、2018年の東京マラソンで設楽悠太が更新するまで日本最高記録であり続けた。いわゆる厚底シューズが登場するまでは、高岡の日本最高記録は破られなかったのである。そう考えると、高岡は、当時の日本長距離界の最高到達点だったと考えて良さそうである。
あの上体は安定し、大きなストライドがスーッと伸びて行くような走りは、現代の長距離界でも十分通用するのではないだろうか?

P.S マラソン挑戦が30歳を過ぎてからになってしまったことについては、賛否両論あったと思うのだが、その後のマラソンでの安定した成績を見ると、世界で戦うために良いタイミングでマラソンに挑戦出来たのではないか?というのが私の考えである。




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