思い出ショートショート⑯
私がヤクルトファンとなり、プロ野球を見始めたのはまだ小学校に上がる前の1988年のことである。しかし記憶としてテレビ観戦を行っていたことははっきりと覚えている。特に助っ人外国人選手については、ヤクルト以外のチームの選手についても覚えている選手が多い。当時はまだ各チーム1試合に出場できる外国人選手は2人のみという時代であり、今と違って、各球団多くても保有している外国人選手は3人までだった。そんなこともあって、外国人選手については今でも思い出せる選手が多い。印象に残っている選手について少し触れてみたい。
ヤクルトスワローズ
デシンセイ内野手
・私が最初に覚えた外国人選手である。スラっとした長身の三塁手で長打力もある助っ人外国人選手だった。デシンセイのホームランで巨人に勝利したゲームをテレビで観たことを覚えている。スタイルが良く上品さも感じさせる雰囲気があった。
中日ドラゴンズ
郭源治投手
・「郭」という名字の投手が中日と西武にいた。私は2人とも日本人なのかな?と思っていたが、テレビを見たり、親から話を聞く中で外国人選手であることを知った。感情を表に出す投球スタイルが印象的である。
ゲーリー内野手
・左打の強打者であり、近鉄に移籍してから開花するブライアントに出番を与えなかった選手である。率も残せて、ホームランも打てる怖いバッターだった。
読売ジャイアンツ
ガリクソン投手
・私が初めて見たゲームで長嶋一茂にプロ入り初ホームランを打たれた投手である。バリバリのメジャーリーガーで、安定感のある投手だった。メジャー復帰後にもシーズン20勝を上げるなど活躍したことが印象的だった。
クロマティ外野手
・好打とハッスルプレー、明るいキャラクターが印象的である。クラウチングスタイルの独特のフォームからヒットを量産した。88年のシーズンは怪我で長期離脱したのだが、それでも子どもが覚える程にインパクトを残してくれた。当時は巨人一極集中の時代であり、クロマティの知名度も相当高かったのではないだろうか?
呂明賜外野手
・クロマティ不在時に彗星のごとく現れた「アジアの大砲」である。デビュー直後のインパクトはかなりのものだった。「ずっとホームランを打ち続けてしまうのではないか?」と子どもながらに感じてしまう程のインパクトがあった。
広島カープ
ランス外野手
・髭も印象に残っている広島の大砲である。当時はまだ子どもだったため、打率が低いということは印象に残っておらず、ホームランを打つ外国人選手という印象である。率が低くても一発がある外国人選手はこの時代多かったのではないだろうか?
阪神タイガース
キーオ投手
・背番号「4」の投手キーオも印象的である。当時の阪神は暗黒期だったのだが、その中で孤軍奮闘していた印象である。当時対戦した選手が、キーオのカーブ、ナックルカーブを称賛している記事を何度か読んだことも記憶している。
バース内野手
・実は88年はほとんど試合に出ておらず、そのまま解雇になっているのだが、それでも強く印象に残っているのは、報道量が多かったということなのだろう。今尚「阪神最強助っ人外国人選手」と呼ばれる神様的な存在の選手である。
ジョーンズ外野手
・バースの代わりに入団した選手であったこと、背番号「00」を付けたことなどもあり、印象に残っている。どちらかというと「ダメ外国人選手」というレッテルを貼られてしまった印象があるのだが、今思うと少し可哀そうな境遇だったのかな?と感じる。
大洋ホエールズ
ポンセ外野手
・おそらくアラフォー世代以上の野球ファンにとっては「ポンセ」と聞けば、大洋のポンセを思い出すファンが多いだろう。「スーパーマリオ」と呼ばれた口ひげを生やした風貌から長打を連発してみせた。パチョレックとセットで印象に残っている。
パチョレック外野手
・好打の助っ人外国人選手である。当時の大洋はスピードのある日本人選手が多かった印象なのだが、どこか非力な印象もあった。そんな中で得点源となるポンセとパチョレックの存在は大きかった。この頃の大洋、横浜ベイスターズの外国人のスカウティングは見事だった。
12球団の選手を挙げようと思っていたのだが、思いのほかボリューミーになってしまったため、今日はセリーグ6球団の外国人選手のみとします。
私にとっての「古き良き時代」というのはこの辺りのことを指すのかもしれません。
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