本来であれば3月20日からペナントレースが開幕する予定だったのだが、新型コロナウイルス」の影響で開幕は延期となってしまった。ブログの更新もどうしようかな?と思っていたのだが、折角なので今まで書いていないような記事を書いてみることとした。今日のテーマは「2002年のヤクルトのドラフト」である。
私の記憶に残っている最も古いドラフト会議は1989年のドラフトである。そこから2019年のドラフトまで31回のドラフトを見てきていることとなる。もちろん小学校の頃の私の見方と今の私の見方は違うし、知識量も全く違うのだが、ドラフト直後にテンションが上がったドラフトという意味で行くと2002年は私の中のトップ3には入ると思っている(村中、川端の両獲りに成功した2005年、増渕、高市を獲得できた2006年、そして奥川+大卒3人を獲得した2019年辺りも候補ではあるが…)。
2002年のドラフトと言うと、いわゆる「松坂世代」の大学進学組が大挙して指名を受けた年であり、タレント揃いの印象だったことを記憶している。当時のドラフトは大学、社会人の選手を2人まで自由獲得枠という枠で獲得できるルールがあり、松坂世代の有力選手達はこの自由獲得枠で入団する選手が多かった。資金力のある巨人やダイエーは木佐貫、久保の両獲り、和田、新垣の両獲りという凄まじいドラフトを行っていた。まだまだドラフト会議が迷走していた時代である。ちなみに自由獲得枠を使用した球団は当日のドラフトの1巡目指名は出来ないルールとなっており、高校生の目玉選手は自由獲得枠を使用していない球団が獲得できる可能性が高いルールともなっていた。そこでヤクルトが指名したのが当時高校生№1サウスポーの呼び声が高かった高井雄平(東北高)だった。近鉄と重複したのだが、抽選で見事に獲得してみせた。これだけでも個人的には十分満足ではあったのだが、その後の指名も非常に面白い選手が揃ったなと感じたことを今でも記憶している。この年の高井以外の獲得選手は以下のとおりである。
1巡目 高井 雄平(東北高) 投手
3巡目 館山 昌平(日大) 投手
4巡目 泉 正義 (宇都宮学園) 投手
5巡目 大原 秉秀(福知山成美) 内野手
6巡目 片山 文男(日章学園) 投手
7巡目 高橋 敏郎(石巻専修大) 捕手
8巡目 吉川 昌宏(ローソン) 投手
9巡目 小森 孝憲(東農大生産学部)投手
10巡目 久保田 智(川崎製鉄千葉)外野手
11巡目 大塚 淳 (土浦三高) 内野手
当時の私はまだネットでドラフトについて調べるということはほとんど行っておらず、雑誌や新聞、テレビ中継を見て贔屓の選手を探していたと思うのだが、上位3人の指名に関しては、「ドラ1級の投手が3人入ってきた!」と大いに興奮したことを覚えている。
高井は、すでに150キロを超えるストレートを投げ込んでおり、スライダーのキレも超高校級だった。制球面に関しては、高校時代から多少不安定な部分はあったのだが、1年の春から仙台育英相手に完封勝利をあげるなど下級生の頃から怪物扱いを受けてきた投手である。当時は2学年上に横浜ベイスターズに指名された後藤という素晴らしい投手がいたのだが、その後藤の投球が霞むくらいの投球を見せていたのが、この高井である。高校生のサウスポーとしては、島袋(興南高)、松井(桐光学園)が出てくるまでは私が見た中では歴代№1なのではないか?と感じさせてくれるような投手だった。
この年の高校生投手で左の№1が高井なら、右の№1は間違いなく泉だったのではないだろうか?泉に関しても1年時の甲子園での投球に度肝を抜かされた記憶がある。1年生とは思えない落ち着いたマウンド捌きで140キロに迫るストレートとキレの良い変化球をしっかりコントロールすることが出来ていた。「とんでもない才能を持った投手がいるものだな。」と感じたものである。しかしこの泉に関しては、ネットをやっていない私でも肩の故障や素行の悪さが伝わってくるという非常に危うさを感じる投手でもあった。それでも高校3年時はエースとしてマウンドを守り、ストレートのスピードも150キロにまで達していたため、夢のある投手だと感じていた。結局肩の故障もあり、プロでは全くマウンドを踏めなかったのだが、この投手を初めて見た時の衝撃は忘れられない(自分が高校3年生の時に高校1年生だった世代なので衝撃が大きかったという部分もあると思うのですが…)。
そして自由獲得枠で指名する球団はなかったのだが、館山を3巡目で獲得できたことも大いに喜んだことを記憶している。故障歴に関しての不安はあったのだが、そこさえ問題なければ失敗する画が浮かびづらい投手だったと記憶している。先発でもリリーフでもどちらでもこなせそうな即戦力投手という印象だった。鍛えられた下半身が館山という選手の特徴を表していたと思う。
高井ー館山ー泉の並びはとにかく豪華だったのだが、6巡目で指名された片山に関しても当時の高校生では希少だった150キロを超えるストレートを投げ込めるポテンシャルの高い投手だった。甲子園では興誠高校ととんでもない打撃戦を繰り広げ、甲子園の名勝負(迷勝負?)として挙がってくることもあるのだが、この時に片山の名前はしっかり記憶させてもらっていた。確かエースではなくかなり粗削りで、スピードの割に相手打者に対応されてしまう印象があったのだが、150キロという数字は魅力的に映った。
野手も個性は揃いで5巡目の大原は動ける大型ショートとして素材の良さを評価されていたし、10巡目の久保田は浦和学院時代から目立つ存在だったスラッガーである。当時の浦和学院は投手、野手ともにタレント揃いだったのだが、強打の久保田は特に印象に残った。東洋大、川崎製鉄千葉とアマチュアのエリートコースを歩み、その打撃センスはアマチュアトップレベルのものを持っていたと思う。
そして最後に8巡目の吉川にも触れておきたい。明徳義塾時代からキレの良いボールを投げ込むサイドハンドとして注目してたため、この投手の指名も嬉しかった。大学、社会人で経験値を上げてからのプロ入りということで指名順位は低いのだが、私の中の期待値は高かったと記憶している。プロでもしっかり中継ぎとして居場所を確保してみせた。
ドラフトの結果が出るのは5年後、10年後であり、指名された直後に成功ドラフトだの失敗ドラフトだの語るのは本来であれば野暮なことなのかもしれない。しかし個人的に評価していた選手や推していた選手が指名されたり、補強ポイントに合致した指名が出来たと感じた時には自然とテンションが上がってしまうものである。この気持ちは共有していただける方も多いのではないだろうか?
皆さんもドラフト直後にテンションが上がったドラフトがいくつかあるのではないでしょうか?
P.S この年のドラフトにかかった選手の中では、森岡、坂口、阿部、新垣、小野寺が後にヤクルトでプレーしていますね。高井、泉、森岡、坂口、阿部がヤクルトにいたというのは地味に凄いことだと思います(当時の世代トップの面々ですからね)。
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