このブログで何度か書かせてもらっているが、私がヤクルトファンになったのは1988年シーズンからである。当時の監督は関根監督であり、非常に魅力的な選手が多かったことは「関根潤三氏逝去」の記事でも触れさせてもらった。しかしそれはほぼほぼ野手陣のことであり、投手陣は軸となる投手はほぼ尾花一人というような状況だったように記憶している(強いて言えば内藤が頭角を現していましたかね?)。弱いけど尾花が先発のゲームは何とかしてくれるのではないか?という感覚が幼い自分の中にあったことは確かである。今思えば88年、89年辺りの尾花はすでに晩年だったのだが、私の中では「エース尾花」という印象が残っている。細身の長身でスタイルが良く、ストレートと変化球をコントロール良く投げ分ける技巧派の教科書となるような投手だったのではないだろうか?
地上波で放送されていた巨人戦で尾花が好投して勝利を手にしたゲームを何度かテレビで観戦したことを覚えている(確かデシンセイと広沢がホームランを打って、尾花が完封か完投をしたゲームがあったと記憶している)。
尾花と言えばやはりヤクルトを代表する弱小時代を支えたエースの1人であろう。先発として200イニング以上登板したシーズンが複数回あり、勝ち数よりも負け数が多いシーズンも複数回経験している。数字を眺めているだけでも当時の尾花の置かれていた環境とヤクルトのチーム状況が見えてくるようである。
私にとっては、応援し始めた時のエースということで非常に印象に残っている投手である。その後に川崎や岡林、伊藤智、石井一、石川、館山、小川なども登場するのだが、「エース」という響きが似合うのは意外と尾花だったりするのかもしれない(応援し始めた時期によってこの辺りの感覚は違うと思うのですが…)。「エース尾花」私にとっては、古き良き時代の大切な記憶である。
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コメント
ノムさん時代は、
ノムさん本人は否定するだろうが、確執あった師匠になる鶴岡親分同様、その年のエースになるべく人材を使い倒しましたからね(笑)。
岡林や伊藤智仁同様に。
だから、毎年エースになる投手が変わっていると。
尾花はたしかにエースだったかと。
あの頃はまだ荒木大輔もいたけどね。
球威がなく、人気ほどの活躍できなかったし、リトルのころからの酷使がたたったのでしょうしね。
古田が言っていたが、
ルーキーのころに「サインとかどうしますか?」って。
尾花が、
「オレをリードするのか?10年早い。」って。
「投げてほしいコースにミットを構えろ」
「球種はオレが決めるから、必死で取れ!」って。
ああ、プロ向きな感じで、ああいう感じの投手いなくなったなと。
それだけコントロールに自信あったんでしょうね。
またスワローズに戻って投手コーチしてほしいけど、監督経験者でもあるから難しいのかな?
> タラちゃんさんへ
非常にクレバーな投手という印象が残っています。古田とのエピソードに関しても尾花であればあり得る話だと感じます。社会人を経ての入団ですが、活躍していた期間は長いですよね。