私がスポーツ観戦に興味を持ち始めたのは1988年~89年辺りからである。どの競技に関しても同じであるのだが、その頃に見たチーム、選手は強烈な印象となって記憶に残されている。ラグビーであれば、当時明治大学でスターウイングだった吉田義人がその存在となる。
私は89年に小学校に入学したことになるため、当時はラグビーのルールもあまり分からないままにテレビで観戦していたと思うのだが、物凄いスピードで相手を抜き去る吉田のプレーに魅了されていた。決して身体は大きくないのだが、トップスピードに乗るのがとにかく速かった印象が残っている。またステップワークも鋭く、他の選手だったらおそらくあり得ないようなスピードで方向転換をするため、吉田を止めにかかる選手が次々に抜かれていくシーンを何度も見たような気がする。
昨年はラグビーワールドカップが大いに盛り上がったのだが、当時もラグビー人気は凄まじく、早明戦などは国立競技場に多くの観客を集めていた。学生ラグビー、社会人ラグビーともに秋、冬の風物詩のようになっていた時代だったのではないだろうか?吉田の存在も一学生ラガーマンの域を超える存在となっていた。日本代表でもウイングのレギュラーポジションを獲得し、国際試合でも見事なステップワークでトライを演出してみせた。日本ラグビー史を振り返る上で忘れられない89年のスコットランド戦でのスピードを活かしたトライや第2回ワールドカップでのアイルランド戦でのトライにつながるプレーなどウイングとして素晴らしいプレーを見せてくれた。89年~91年辺りのプレーはおそらくではあるが十分世界で通用するだけのレベルにあったのではないだろうか?ウイングらしく自分でトライを取り切ろうとする姿が印象的である。相手を交わすことが難しく、味方にもつなげない場面で見せる空いたスペースにキックを蹴って自分でキャッチし、トライするプレーは吉田の十八番だったのではないだろうか?
ラグビーを見始めて30年が経過し、間違いなくラグビーのレベルは大きく進歩しているのだが、私にとっての№1ウイングは未だに吉田義人のままである。あれ程の切れ味鋭いステップワークは中々見られるものではない。
P.S あの頃は1月15日が成人の日であり、その日に社会人の日本一のチームと大学の日本一のチームが戦う日本選手権が行われていたんですよね。当時は神戸製鋼が黄金期を迎えていたのですが、吉田が在籍していた明治大学には「ひょっとすると勝ってくれるのではないか?」という期待感を抱かせてくれる部分はあったかと思います。吉田4年次の日本選手権はそういった期待を抱かせた最後の日本選手権だったように記憶しています。イアン・ウィリアムスVS吉田義人のマッチアップは面白かったですね。
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コメント
神戸製鋼のウイリアムス。
久々に聞きましたよ。
この試合じゃないけど、いつのか忘れたが、社会人ラグビー決勝戦。三洋戦でのロスタイムかな?での逆転決勝トライはすごく思い出しました。
Jリーグ始まるまでは、
「Number」の冬の時期は必ずラグビー特集やっていたし、
早明戦なんて国立満員札止めとかものすごかったですからね。
吉田は本当キレキレでしたね。
言われているその通り。
あの頃明治強かったもんね。永友、元木とはかぶりましたっけ?
その吉田が、7人制ラグビー監督になったとき、
現ハムの大田が、読売でくすぶっていたとき、スカウトしていたのよね。
大田がラグビーやってもあの身体能力だったらってことなのかな?と。
今となってみたら、ハム移籍良かったね。となるのでしょうけど。
> タラちゃんさんへ
三洋電機戦でのウィリアムスの逆転トライは、日本ラグビー史に残る名場面ですからね。あのトライがなければ神戸製鋼のV7もあり得なかった訳ですからね。
吉田は永友、元木とも被っているはずです。非常に印象に残るチームでした。