「巨人キラー」と聞いて皆さんは誰を連想されるだろうか?野球に興味を持った年代によって答えは変わってくると思うのだが、私の中の「巨人キラー」は川崎憲次郎である。私が特に印象に残っているのはヤクルトがまだ弱かった時代、89年~91年の川崎の姿である。「あの日の斎藤雅樹」、「エース尾花」の記事でも少し触れたのだが、当時のヤクルトはまだまだ弱小球団であり、テレビで見る巨人戦は負け試合を見る回数の方が多かった。安定感のある尾花の他に期待できる投手が少なく、若手でも内藤かこの川崎くらいしか名前を挙げることが出来なかったと記憶している。しかしこの川崎が巨人に滅法強かったのである。
当時の私はまだ野球を見始めたばかりであり、川崎が高卒1年目から結果を出していたという認識は全くなかったのだが、今成績を振り返ってみると高卒1年目~3年目のシーズンとは思えないような素晴らしい数字が並んでいる。私はその凄さを感じられる年齢ではなかったのだが、巨人相手に好投する凄さは感じることが出来ていた。140キロ台中盤から150キロ近くを計測する力強いストレートを軸にした投球スタイルは幼心に魅力的に映ったのだと思う。変化球はおそらくカーブかスライダーにSFFを加えた形だったと記憶しているのだが、SFFという球種を覚えたのも川崎からだったと思う。川崎の代名詞と言うと怪我後に覚えたシュートという印象が強い人も多いと思うのだが、私は速くて鋭く落ちるSFFの印象の方が強く残っている。
オーソドックスな本格派右腕であり、ある意味ではプロの世界で一番埋もれやすいタイプの投手にも映るのだが、その中で結果を残した川崎はやはり私が思っていた以上に凄い投手だったのだと思う。特に巨人戦の川崎は躍動感を感じ、巨人打線が明らかに川崎のことを嫌がっていることを感じることが出来た。ボールの質、キレで勝負できる本物の本格派投手だった。92年に怪我で離脱して以降も巨人戦での勝ち星は積み上げることが出来ていたし、93年の日本シリーズでは見事な投球で2勝を上げ、MVPを獲得したし、投手として下り坂に差し掛かり始めたのでは?と感じ始めた中でもシュートを習得し、モデルチェンジに成功して沢村賞を獲得したりとその後も印象に残るような投球を見せてくれていたのだが、私の中ではやはり91年までの川崎の印象が強い。川崎自身がどのように感じているかは分からないのだが、私の中での川崎憲次郎は89年~91年の川崎憲次郎である。
P.S それだけに93年の日本シリーズの快投(もしくは怪投)は驚きだったんですよね。突然怪我前の川崎が戻ってきたような投球内容で西武打線を抑えたんですよね。見事でした。
完全に私事になってしまうのですが、90年から91年の神宮での巨人戦で川崎が完封勝利を収めた試合があったと思うのですが、私は発熱をおしてテレビ観戦し、川崎が完封したことで試合後には熱が下がっていたということがありました。子どもの体調不良を吹き飛ばしてしまうような熱い投球に痺れました。
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コメント
川崎がシュート投手に変身したのは、確か?沢村賞獲得した98年で、
それまでは真っすぐと落ちる球(SFF?)の典型的なパワー投手でしたからね。
日本シリーズMVP獲得した93年もそうだったし。
巨人戦にたしかに強かった。
ドラフトで巨人にも指名されたがクジでウチが獲得したっていう経緯もあったのかと。
その93年の日本シリーズ4戦で解説が関根潤三。
「今日の川崎はおかしい(コントロール、球威とも良すぎるっていう意味)」って連呼していたのが印象的。
7回かな?それまでフォアボール無かったからね。
あの試合は打者にとってのビハインドの強烈な風吹いていたしね。
7戦で清原に2ラン打たれた以外はほぼ完ぺきでしたね。
そのHR打たれたあと、ベンチで古田にノムさんがものすごく体を動かし構えを見せながら、説教していたシーンが印象的。
そして8回、サイン無視の「ギャンブルスタート」決行し、4点目ゲット。4得点すべて広沢の打点。
懐かしいですね。
> タラちゃんさんへ
93年の日本シリーズでの川崎はシーズン中の投球から考えれば神懸っているような投球内容でしたよね。私は当時小学生だったためどちらの試合もフルでは見れていないのですが、関根さんが試合中にそれだけ連呼していたということはやはり絶好調だったんでしょうね。
ノムさんがヤクルトの監督を引き受けた理由の一つに川崎の存在があったと思います。弱小ヤクルトの匂いが残る時代の最後期のドラフトで取った、最高の本格派投手。巨人の藤田監督や評論家の多くが認めたその素質、そりゃあ、凄い期待感でした。新人の年、ノムさんが解説の試合に登板したんですよね。おそらく、この試合を見て、近年稀に見る投手と思ったに違いありません。私も、球場で見てましたが体形とか腕の振りとかが投手として理想的で、そこまで力投しなくても速い球を投げていました。
川崎投手は、試合後半に向かって球威を上げていくタイプで、入団から3年目までは特にそういう傾向がありました。先発時代の横浜佐々木や巨人の木田なんかと対戦することがありましたが、始めは相手より球威が劣っていても中盤以降肩を並べて、最後は追い越すくらいの勢いがありました。相手のエース級や速球派相手でも負けなかったのが当初の川崎です。復帰後は、日本シリーズでの好投や最多勝などもありますが、やはり最初の3年間が印象深いです。
> ーさんへ
「ノムさんがヤクルトの監督を引き受けた理由の一つに川崎の存在があったと思います。」興味深いコメントありがとうございます。ドラフト前からプロ側が高く評価していたことが「-さん」のコメントから伝わってきました。
佐々木、木田も川崎同様パワータイプの先発投手という扱いだった時期がありましたよね。
非常に興味深く読ませていただきました。可能ならハンドルネームを付けていただけると嬉しいです。