2001年のリーグ優勝、日本一に大いに貢献した投手2人である。巨人を戦力外となった入来、オリックスを戦力外となった前田が先発としてこれほど貢献するとは、ヤクルトファンであっても予想することは難しかった。この2人の活躍があった2001年がすでに20年前の出来事になるとは…時間の流れは早いものである。
戦力外となった選手を獲得し、チームの戦力に仕立て上げることは、野村監督の十八番であり、「野村再生工場」と呼ばれていた。しかし野村監督がチームを去った後も同じように他球団を戦力外となった選手がチームの躍進に貢献することがあったことを記しておきたいと思った。若松監督時代については、この2人の投手の活躍が印象的である。「若松再生工場」と言うよりは「古田マジック」というニュアンスの方がしっくりきた印象ではあるが…
入来は、鳴り物入りで巨人に入団した入来祐作の兄という印象が強く、特徴が見え辛い投手だと感じていた。しかし2001年にヤクルトに拾われるとストレート、シュートで強気にインコースを突く投球が開花し、古田の好リードも相まって、シーズンを通して先発ローテーションとして安定した投球を続けてみせた。細かいコントロールが良かった印象はあまり残っていないのだが、この年の入来は大きく制球を崩してしまうこともなく、打者との駆け引きで上回っており、常に自分が主導権を持ちながら投球していた印象がある。安心して試合を見ることが出来る投手だった。10勝3敗、防御率2.85という数字は、前年1軍での登板機会がなく、戦力外となった投手の投球内容ではなかった。巨人時代は、「入来祐作の兄」としてある程度の知名度は得ていたが、ヤクルトでの活躍で投手としての実力が認められたと感じたのではないだろうか?
もう一人は、オリックスを戦力外となってヤクルトで2年目のシーズンを迎えていた前田である。ボールを動かしながら打者を打ち取っていくサウスポーなのだが、この投手がシーズン通して先発として結果を残し、規定投球回に達したことは、入来同様驚きだった。7勝10敗、防御率3.93という数字は先発投手として十分合格点を与えられる数字である。スライダーとフォークを上手く使いながら相手打者に的を絞らせない投球に特徴があったが、ここまで化けることが出来るのか?と驚いた投手である。シーズン、日本シリーズと貴重な役割を果たしてくれた。
この2人の投手に共通していたことは、そこまで球威がなくても、打者のインコースを強気に突くことで活路を見出したということだろうか?気持ちが入った投球、自分の投球の組み立てがハマれば、多少ボールが甘くなっても抑えられることを古田に教わった中での開花だったのかもしれない。
入来と前田のことを振り返ってみて改めて「古田敦也」という捕手の偉大さが浮かび上がってきた。当時NPBで燻っていた投手は、最後の死に場所として「ヤクルトでプレーしたい。」、「古田にボールを受けてもらいたい。」と思っていた投手が一定数いたのではないか?と想像したくなるような捕手としての仕事ぶりだった。
この年のヤクルトの先発投手で古田に依存しなくてもある程度結果を残したのではないか?と感じさせてくれる投手は石井一久のみだったように記憶している。当時ほぼ実績のなかった若きサウスポー藤井、途中入団の外国人投手ホッジス、そして入来と前田、これらの投手を戦力に仕立て上げた古田の存在なしに語ることは出来ない2001年シーズン、日本シリーズとなった。
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コメント
はじめまして、ヤマと申します。
私もスワローズファンで、ランキングよりアクセス・拝見しております。
入来智と言えば、弟の祐作とオールスターゲームで兄弟リレーをしたことを思い出しました。
おっしゃる通り、兄の智は古田のおかげで開花できたといって良いのでしょうね!
その古田がこのキャンプで臨時コーチとして支えてくれるということで、今シーズンの楽しみが増えたような気がしています。
ちなみに弟の祐作は今年からオリックスバファローズにコーチ就任したらしいですね。こちらも頑張ってもらいたいものです。
ヤマさんへ
コメントありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
この年の入来は本当に安定していましたからね。兄弟リレーも話題になりましたよね。
古田に関しては、バッテリー強化という部分で力を貸してもらいたいですよね。
この年の入来、前田の活躍は確かに古田の力に依るところが大きいですね。なんでも古田のおかげというのは好きではないのですが、そこそこの投手を戦力にするために、いかに投球を組み立て、欲しいボールを投げさせるかというノウハウを身につけていましたよね。そこにID野球の結実を見る思いがします。
パインさんへ
この年の古田への依存度は非常に高かったですよね。古田の離脱と共にチームも勝利から遠ざかり、巨人の反撃を許した時期もありましたからね…