NPBで活躍したオランダ人プレーヤーと言えば、バレンティンであったり、アンドリュー・ジョーンズの名前が真っ先に上がると思うのだが、ヘンスリー・ミューレンの存在も忘れてはならない。ロッテで1年、ヤクルトで2年プレーし、95年シーズンには、ヤクルトのリーグ優勝、日本一に貢献してみせた。
ツボと穴がはっきりとしている80年代~90年代に多かった「THE助っ人外国人」という印象である。ストレート系のボールに力負けしないパワーを持つ反面、ストライクからボールになる変化球にさっぱりだったイメージが残っている。当時のNPBはスライダー全盛と言っても良いくらい、スライダーを投げる投手が多くなってきた時代だったのだが、そのスライダーに大いに苦戦したバッターとして記憶に残っている。ロッテを自由契約となってヤクルトに入団したのだが、同年に阪神から移籍してきたオマリーに比べると確実性に欠け、期待値もそこまで高くなかったように記憶している。私自身もパリーグで波の大きかったミューレンがセリーグの細かい野球に順応するのは難しいのではないか?と予想していた。
しかしミューレンは、ヤクルトの下位打線に欠かせない長距離砲として、チームの勝利に貢献してみせた。打率が低く、三振も多い打者だったのだが、はっきりとしたツボも持っていたため、ロッテ、ヤクルトでの3シーズン全てで20本以上のホームランを放ってみせた。特に95年シーズンは29本塁打という記録を残してみせた。苦手な投手にはさっぱりであり、本人の調子の波も大きかったのだが、これだけホームランが打てる打者が7番や8番に座っていることが相手チームからしたら不気味に感じたはずである。ヤクルトファンとしては、このミューレンの存在が心強く感じることが多かったように記憶している。古田、オマリー、池山らの後ろにミューレンがいることで、相手バッテリーは息が抜けなかったと思うし、ヤクルト側から見れば「まだミューレンが残っている。」という期待感を持たせてくれた。打率が低く、三振も多いのだが、そんな打者を上手く配置したのは野村監督だった。こういった采配も野村監督の真骨頂だったのではないだろうか?
個人的には、95年の日本シリーズ第三戦の9回にオリックスの守護神平井から放った同点ホームランが印象に残っている。ミューレンの良さが表れた劇的な同点弾だった。
当時は、粗っぽい打撃に粗っぽい守備(リードしているゲームの終盤は守備固めで山口重幸と交代するのが定番でしたかね。)ということで、それほどクレバーさは感じなかったのだが、その実ひたむきに野球に取り組むことが出来る選手だったようで、NPBを去った後の2000年のシドニーオリンピックにはオランダ代表として出場し、その後はオランダ代表の監督も務め、国際試合でのオランダの躍進に大いに貢献してみせた。野村監督の下でプレーした選手が優秀な指導者に育っているという話題は良く出るのだが、ミューレンもそういった人物の一人であることを忘れてはならない。
P.S 2000年のシドニーオリンピックでミューレンがオランダ代表として出場しているのを知った時は、純粋に嬉しい気持ちになりました。日本に比べてまだ格下の印象があったのですが、ミューレンの活躍に期待しながらテレビ観戦をしたことを覚えています。
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コメント
ミューレン懐かしいです
これだけのスラッガーが下位打線にいる贅沢ですよね
野村監督は助っ人外国人の扱いも見事でした
ちょっと似た打線で中日が本塁打王山崎と大豊を下位打線に組んでて気持ち悪かったですね(笑
ミューレンが代表監督にとして戦えたときは私も嬉しかったです
バレンティンとミューレンの応援歌が同じですよね。
♪勝利の女神が微笑む スタンド揺るがす一振り 燃えろファイヤー ヘンスリー・ミューレン
8番で2割5分も打てなくて80打点というのが、いかに固定して使われていたかの証しですね。95年はハウエル、広沢の主軸が抜け、古田、池山が故障持ちの状態。オマリー、ミューレン、テスト入団でブロスを獲りましたが、外人版再生工場でしたね。ハウエルの代わりがそのままミューレンというのは考えにくいところですが、徹底的に適材適所にこだわり限られた戦力を使い切るのがノムラ流。オマリーの代役だった稲葉のデビューも鮮やかでしたし、ミューレンの守備固めの山口が守備練習しかしないという話など起用法の巧みさがこの年の安定した戦いに繋がった気がします。ミューレンはこの起用に見事にハマり応えた選手だったと思いますね。
saboさんへ
ミューレンを下位に置いた采配は、野村監督の名采配の1つでしょうね。
オニさんへ
バレンティンの応援歌の元祖もミューレンですよね。私は応援歌には全く興味がなかったので、バレンティンの応援歌が元々はミューレンの応援歌だと聞いて驚きました。
パインさんへ
95年シーズンの日本一はブロス、オマリー、ミューレンの力が大きかったですよね。戦前の下馬評を覆しての優勝でしたよね。
お久しぶりです。
今年もよろしくお願いします。
ミューレン。
印象に残っているのは、
95日本シリーズ3戦9回裏平井から打った同点HRと、
古田が嶋田哲(今審判の?)にビンボール3連続投げられたあと乱闘になり、倒れている選手を右アッパーで殴ってたのを珍プレーで映ってたところ思い出します。
ロッテにいたときは、愛甲猛曰く「(人間性が)最低な外国人」メル・ホールにバカにされいじめられていたそう。
スワローズに来て、そこから解放され、オマリー、ブロスとともに活躍し、日本一になったとき、ライト側フェンスによじ登ること始めた選手の1人でしたね。
95年8番打者メインで80打点。
この年パリーグだったら、イチロー、田中幸雄、初芝とならぶ成績で打点王獲っていたので、相手としてはそんな打者が8番にいるのはすごく嫌だろうなと。
WBCなどでオランダ代表でコーチとしていたのはすごくうれしかったです。
おととしのOB戦でも呼んでほしかったな?と。
タラちゃんさんへ
穴の多い打者という印象もあるのですが、それでもある程度の結果を残したところにクレバーさを感じさせてくれますよね。打順は7番、8番が多かったですかね。