本川一美

思い出ショートショート④
小学校低学年の頃にはマラソンや駅伝を観戦することも楽しみになっていたのだが、その中で印象に残っているのが順天堂大学の本川一美である。サラサラヘアーのイケメン(当時はイケメンという言葉はなかったが…)ランナーは第67回~70回まで4年連続で「花の2区」を走った速くて強いランナーである。
私の記憶にあるのは92年の第68回大会からであり、67回大会のことは全く記憶に残っていない。しかし68回大会のことはしっかり記憶している。当時は山梨学院大学にオツオリというケニアからの留学生ランナーが在籍しており、このランナーには日本人ランナーでは敵わないという雰囲気があったのだが、この本川は大学2年次にこのオツオリを抜き去り、2区で区間賞を獲得している。「凄いランナーがいるんだな。」と興奮したことを覚えている。しかし翌年は、右足の不安を抱えたまま出場し、大ブレーキで区間最下位に沈んでしまう。この時もテレビにくぎ付けになっていた。今でも箱根駅伝のブレーキというものは悲劇的に扱われたり後に美談の材料として使われたりすることがあるのだが、当時は今以上に怪我をおしてでも次の走者に襷を渡すことが美徳とされていたような印象がある。そんな中継に私自身も流されてしまっていたのだが、戸塚中継所まで必死に走り切った姿に感動したものである。
そして4年次にはしっかり復活し、2年次に自身が作った記録を2秒上回る好走を見せてくれた。順天堂大学卒業後、日本を代表するランナーという所まで達することはなかったのだが、90年代前半の学生駅伝界を代表する記憶に残る名ランナーである。

にほんブログ村 野球ブログ 東京ヤクルトスワローズへ
にほんブログ村








コメント

タイトルとURLをコピーしました