先日の楽天とのオープン戦でヤクルトが7投手による継投でのノーヒットノーランという記録を達成したのだが、ノーヒットノーラン絡みの珍記録ということで言えば、この山部の名前が挙がってくると思う。
93年にドラフト1位でヤクルトに入団した本格派サウスポーである。ヤクルトの黄金期真っ只中に入団したこともあり、即戦力としての期待も高かったように記憶しているが、1年目はそれ程結果を残すことが出来なかった。しかしその1年目に山部にスポットライトが当たる出来事があった。イースタンでの西武戦でノーヒットノーランを達成したのである。ネットもない時代であり、普通のノーヒットノーランであればそれ程ニュースにもならなかったと思うのだが、この試合では相手投手の竹下もノーヒットで9回を投げ切り、両チームノーヒットという珍しい試合結果となった。ヤクルトは相手のエラー絡みで1点を奪っていたため、山部はノーヒットノーランを達成し、勝ち投手になったのだが、2軍のゲームと言えども、非常に珍しい記録が達成されたため、ニュースや新聞で多少取り上げられたことを覚えている(映像を見た記憶は全く残っていないのだが…)。
この出来事もあり、私自身ルーキー山部に大いに期待していたのだが、上記の通り、1年目は1軍ではそれ程活躍することは出来なかった。しかし2年目のシーズンにその才能が開花する。キレのあるストレートとスライダー、フォークのコンビネーションで打者を抑え込み、先発、リリーフとしてフル回転し、シーズン16勝を上げ、リーグ優勝に貢献すると、オリックスとの日本シリーズではリリーフで起用され、日本一にも貢献してみせた。同時期に頭角を表した投手として同じサウスポーの石井一久と比べられることもあったのだが、ボールのえげつなさという意味では石井に軍配が上がったと思うのだが、山部の方が大崩れしない印象があった。今数字を見てみると山部も決してコントロールが良い投手とは言えないのだが、それでも95年の山部は「勝てる投手」だった。結果的にはこのシーズンが山部のキャリアハイとなってしまい、その後は肩の怪我に苦しむことになってしまった。正直肩の怪我から復帰した後に腕を下げ、球速度外視で打者と対峙した姿は、痛々しくも感じたのだが、それでもスローカーブを巧みに使って抑える姿も鮮明に記憶に残っている。
個人的には正統派の本格派サウスポーとして結果を残した95年の姿が最も印象的なのだが、なりふり構わずにモデルチェンジを図り、最後まで現役にしがみついた姿も印象的ではあった。あまり語られることはない投手だが、好投手だったことに違いはない。
P.S 2年目の西武とのオープン戦で清原を空振り三振に仕留めたスライダーがカメラの角度も相まって物凄い切れ味だったことを覚えています。子どもながらにプロの投手の投げる変化球の凄さを感じることが出来たシーンでした。
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コメント
95年の活躍を見た時は、石井との両左腕でチームを引っ張っていくと思ったのですが、この時代のヤクルトの投手は、彼に限らず故障がキャリアに大きく影響したのが残念です。
現在なら16勝もすれば最多勝がほぼ当確なのに、当時は試合数が少ない時代なのに、20勝近く勝たないとタイトルに届かなかったんですよね。時代の移り変わりを感じます。
超匿名さんへ
山部は、95年シーズンに関してはフル回転でしたよね。モデルチェンジをした後の姿に驚いたことを覚えています。故障がキャリアに大きく影響したというのはその通りですよね。