ゴン中山引退

 サッカーの元日本代表FWで、J1最多の通算157ゴールを挙げた中山雅史選手(45)=札幌=が4日、札幌市内のホテルで記者会見し、今季限りでの現役引退を表明した。多くの報道陣を前に、深々と一礼し「私、中山雅史は今シーズンをもちまして、第一線を退くことを決めました」とはつらつと話した。日本代表としてワールドカップ(W杯)2大会に出場し、1998年フランス大会で日本のW杯初ゴールをマークした。
(共同通信引用)

20年以上に渡って日本サッカー界を牽引してきた中山雅史選手が引退を発表した。20代後半から30代の方々は特に寂しい思いをしている方が多いのではないだろうか?

泥臭いプレースタイルとサッカーを探求し続ける熱い気持ち、インテリジェンスに溢れるトークといくつもの魅力を持った選手だった。

私が中山選手を知ったのは93年のドーハの悲劇の時だった。当時の日本はJリーグブームに沸き、誰もがサッカーという競技に夢中になっていた。そんな中で迎えたアメリカワールドカップのアジア最終予選。多分何割かの人は、勝手にワールドカップに行けるものだと思い込んでいたのではないだろうか?それほどまでに盛り上がった中で迎えた最終予選。結果は皆さんご存知の通り最終戦のイラク戦のロスタイムに同点ゴールを許し、ほぼ手中に納めていたワールドカップ本戦への出場切符を失ってしまった。
そんな悲劇の中で登場したヒーローが中山だった。当時日本代表のスーパーサブとして活躍していた中山は、第2戦のイラン戦0-2とリードされた終了間際に敵陣ゴールラインを割りそうなボールに果敢に飛び込み、角度のない所からゴールを決めた。その後イラン選手を振り払うようにしてゴールに入ったボールを抱えて鬼気迫る表情でチームメイトを鼓舞するようにセンターサークルに走っていく姿は、小学生だった私にとって衝撃的なほどにカッコ良く感じた。日本のサッカー史に残る名場面であり、ヒーロー誕生の瞬間だったと思う。

その後の中山は、その激しいプレースタイル故に怪我に苦しみながらもJリーグ、日本代表で活躍し続けた。97年のフランスワールドカップ最終予選では苦しむ日本代表の救世主的存在となり、ジョホールバルの歓喜と呼ばれるイラン戦では先制ゴールを決めて見せた。そしてフランスワールドカップのジャマイカ戦では、日本初ゴールを叩き込んだ。
ジュビロ磐田でも黄金期を支え、フランスワールドカップと同年の98年には4試合連続ハットトリックを達成するなど得点王に輝いた。先日佐藤寿人の記事を書いたのだが、この時の中山は、正にジュビロ磐田のフィニッシャーだった。
その後2002年の日韓ワールドカップのピッチにも立つとその後もジュビロ磐田、コンサドーレ札幌で選手生活を続けた。ジュビロを退団するときは、正直もう引退しても良いのでは?と個人的には思ったのだが、ボロボロになるまでサッカーをし続ける姿は中山らしい姿だった。

日本サッカー界の功労者中山雅史選手にはこれからも日本のサッカーを支え続けてほしいと思います。お疲れ様でした。

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